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「高橋先生」へレスポンス

 投稿者:藤井  投稿日:2006年 7月 6日(木)00時23分37秒
  ご主人のご予定が、両日ともご都合が悪いとは、廻りあわせが好くなかったですね。こういうことは、よくあることです。がっかりなさらないように。「高橋先生」の昵懇なお友達で、クラッシク好きな方とご一緒されるのも一つの選択ですね。チケットの件ですが、通常、料金の廉価のものが先に売れて、S席とか、A席は残っている場合が多いのですが、果たして今回はどうなっているのでしょうか。私共は最初はテニス友達のIさん、私と家内の3人と言う組み合わせでしたが、家内の奈良市在住のお友達が家内が齎した情報を耳にされ、ぜひとも「大植英次」指揮による演奏を聞きたいと望まれ、別の席のチケットを取り、そこで、我々はさらにもう一名のクラッシクファンを誘って3人隣り合わせの席で聞くことにしたわけです。私たちは、シンフォニーだけは、贅沢していつもs席を確保しています。勿論、「高橋先生」の自由な裁量におまかせしますので、私からのお勧めは無視していただいて結構です。お気になさらないように。あす、医院のほうへ参りますので、その節、詳しいことをお伺いいたします。以上、案内のフォローです。よろしく。  

藤井様へ

 投稿者:高橋  投稿日:2006年 7月 5日(水)23時00分21秒
  大植氏への熱き思いがあふれるインフォメーションを
ありがとうございます。

そろそろお見えになるかなぁ、と思っていましたが、
午後診にいらしたことを聞きました。
いつお会いできるかわからないので、
この場を借りてお返事させていただきますね。

実は藤井さんのお話を聞いた日に、早速大フィルのHPを開き、
夫の予定を確認してもらいました。
あいにく夫は両日とも都合が悪く、私は土曜日のみ可能。
というわけで、迷っております。
今希望が叶う方向に、調整中です。
でも人気の公演なら、早く決断しないとだめですね。
また結論が出たら、お知らせします。ヾ(o・∀・o)ノ゙
 

いつもありがとうございます。

 投稿者:スタッフ  投稿日:2006年 7月 4日(火)21時59分9秒
  いつもキレイな写真や歌をのせていただいてありがとうございます。
ドラえもんの化石(?!)かわいいですね。実は私の知り合いのご自宅の玄関にも同じドラえもん、そこはミッキーマウスも飾ってあります。かなり大きいのですが、確か新築祝いで頂いたとおっしゃってました。はやってるんですかね〜。実物はかなり高級感がありました。
「折々の歌」からは、いつも勉強になります。いろんなテーマがあり面白いです。物知りでいらっしゃるなと感心しています。文章力のない私としては、自分の考えをどう文章に表せばよいのか困っております。「神頼み」は必要ないといいきれる方は実際少ないでしょう。信じる信じないは別として、生きるか死ぬかという状況におかれた時、きっと殆どの方が祈るだろうと思います。人間は、「人」というその文字のとおりなにかに支えられて
生きていると思います。私はその何かは人だとおもいますが、神だという人もいるでしょうね。神頼みは必要ないと言い切る強さがあればよいのですが、まだまだ弱い人間です。
せめて、頼む前に実力をつけねばと思います。
今年はモーツァルト生誕250年の記念の年で、各地でモーツァルトの曲の演奏会が開かれていますね。生演奏は素晴らしいでしょうね。また感想聞かせてください。
 

「ドラえもん」の化石

 投稿者:山田池の熊  投稿日:2006年 7月 3日(月)01時43分55秒
  先週 岡山出張の帰り 枚方市内の 国道1号線で
「ドラえもん」の化石が トラックに載せられていたのを
見かけました どこへ運ばれるのでしょうか

http://www.e-from.com

 

「折々の歌」から

 投稿者:藤井良彦  投稿日:2006年 7月 2日(日)16時38分45秒
  本日[7月2日(日)]朝日新聞朝刊掲載の「折々の歌」から、感ずるままをまとめた拙文を寄稿させていただきます。「大岡信(まこと)」さんのプロフィールについては、既にご紹介しましたので、ここでは省略いたします。以下、ほとんどが「大岡さん」直筆の原文をそのまま、あたかもコピーするかのように、写して記述していますが、ところどころに私の感じたままをちょっぴりですが、書き添えています。いちいち、ここまでは原文のまま、ここからは私の加筆したものとお断りしていませんが、その点はご容赦下さいませ。もう一つ、「和歌」は縦書きを以って、記述されるべき日本古来からの慣用と伝統を持つ書体ですが、
この投稿欄では、それが叶いません。敢えて、本来あるべき姿を無視して、横書きの書体をもって、表記させていただきました。このことにつきましても、ご寛恕下さい。
「神は無しと吾は言はねど若し有ると言へばそれでおしまいになる」 足立スハル

「この梅生ずべし」(昭三九)所収。
若くして病弱であったということ以外、私(大岡)はこの女流作歌者のこまかい経歴を知らない。現代歌人には珍しい、詠みぶりの女性だと思ってきた。もう一つ、彼女の面目を遺憾なく、発揮している作品を紹介しましょう。
「金にては幸福は齎(もたら)されぬといふならばその金をここに差し出し給え」
ズバリと要点をダイレクトに突く人だと思った。最初の歌の意、「神は無いなどと私は言わないけれども、もしも、神は存在すると言ったならば、もうそれだけで私はおしまいになります」。‘人生に甘い夢、最後になれば天井の神は吾を見捨てたりはしない、きっとお助け下さる、こんなあまたっるい神頼みの夢なんかとんでもないことですよ。’と断固としていい張った声。皆さんは、この声調の強さに打ちひしがれてはいませんか。この女流歌人が吾が人生に向き合っている、ひるみの無い強さ、けれんの無い潔さ、はたと心をうたれました。処世の術として、これからの人生でも、絶対に当てにしてはしてはならない、いらざる「神頼み」、貴方は敢然と、かなぐり捨てることができますか。
 

大植英次公演のご案内

 投稿者:藤井良彦  投稿日:2006年 6月30日(金)20時10分17秒
  これは私信に近いご案内ですので、予めその点をお断りしておかなければなりません。不審の念を抱かれた方には平に、ご容赦の程お願いいたします。本日、「高橋先生」から治療を受けてております時でしたが、何気なく四方山話の一つとして話題提供の積りで、お話しました‘大阪フィル 京都、神戸公演’のことについて、かなりのご興味と関心を寄せられましたので、そのことについて情報提示をしたいと思います。近年、とみに盛名を馳せ、関西一円のクラッシクファンには大人気の指揮者、大フィルの音楽監督でもあります「大植英次」の初の京都、神戸の地における演奏会についてのものであります。土曜日は「高橋先生」はお仕事の方は差支えがなかったのでしょうか。その点を憚りながら、以下の通り、ご案内を申し上げます。
・京都特別演奏会
 日時:2006年9月2日(土)14:00開場 15:00開演
 場所:京都コンサートホール
 指揮:大植英次
 ピアノ独奏:清水和音
 演目:モーツアルト/歌劇「魔笛」序曲 K620
        ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
    チャイコフスキー/交響曲第4番 ヘ長調 作品36
 料金:s席 \5,000 A席 \4,000 B席 \3,000 P席 \2,000(売り切れ)
 お問い合わせ:大阪フィル・チケットセンター 06-6656-4890
以上ですが、土曜日は都合が悪いけれども、どうしても「大植」の棒振りによる演奏をお聞きになりたいと言う願望が捨て切れないのでしたら、翌日に「神戸公演」が用意されています。9月3日(日)15:15開場 16:00開演 「神戸国際会館」にて。指揮者、独奏者、演目は京都公演と変わりはありません。でも、神戸まで足を伸ばすのはどうかなーと思われるかもしれませんね。私はテニス仲間のクラッシク好き二人と一緒に。家内はお友達と二人で、全く別な席で、聞くことになっています。「オウエ」の指揮によるオーケストラはその演奏にどんどん惹き込まれて、途上で、どんと突き上げるような身震いを感じるほどの感動を覚えたことがあります。とにかく、余りにも凄すぎるとオーラを感じたことも幾度か。ピアノのソロの方は初お目見えの方ですが、女性のピアニストではないかと思います。チケットの入手はお早めにした方が賢明かも。「高橋先生」がその気になられるかどうかはともかくとして、もし聞いてやろうと決意されるのでしたら、是非、ご主人様とご一緒にお足を運ばれることを、老婆心丸出しで申し訳ありませんがお勧めしたいと存じます。余計なことでしたかね。
最後になりますが、私の拙文「続コレクションの意味」に対しまして、スタッフの方(多分、院長先生の奥様ではないかと、推察申し上げています)から、大変格調の高い、ご返信の一文を頂戴いたしました。端的に、「コレクション」に対する感懐を述べておられまして、感心いたしました。私独自のオリジナルな考え方であれば、言う所なしなのですが、多分に他人様の発想を借用したり導入したりした箇所がありまして、そのへん真に、お恥ずかしい限りです。シーベリーの言葉を引用されていますが、残念ながら、この人のことを存じ上げておりません。「自分自身と向き合って、うまく自分と付き合っている人」は他人と己とを比べたりしないと明快な結論を示されていますが、さてそれなら果たして、私自身はどうかと言いますといつも当たり前のように、大概のケースで自分と他人さんとを見比べています。端然としてはおられないのです。自分のカラーを出しきれないでいる自分の姿に気づいていても、ただすことが出来ないでいる自信のない危うさ。これが私の正体かな。どうも有り難うございました。
 

コレクション

 投稿者:スタッフ  投稿日:2006年 6月29日(木)00時10分17秒
  コレクションですね。この物の残し方には主張があって私的にはいいんではないかな。と思うのですが自分にとっての要・不要がはっきり区別できてそれでいて整理できているなら、ひとつでは価値のないものもコレクションでひとかたまりになると高い価値になったりしますよね。どちらかというと物をコレクションするのは男性に多い気がするのですが。
自己表現の手段とはまさに共感です。
自分が自分であることが幸せになるための方法であるのではないでしょうか。
シーベリーの比較を戒める言葉をひとつ「松の木はその枝を伸ばそうとします。樫の木と誇り合おうとしているわけではない。自分の歌を歌う詩人になりなさい。自分の色を持った画家になりなさい。自分自身でありえないのなら悪魔になったほうがましである。なぜこうも終始心配ごとで心を煩わせていなければならないのか。それは自分であることを放棄したから。私は私であらねばならない。私はこれ以上あなたのために自分を消耗させない。もしあなたがあるがままの私を愛せるなら、私はもっと幸せになるだろう。」意図と少し方向が変わってしまったかもわかりませんが自分とうまくいっている人は自分と他人を比較しないということです。
 

続 コレクションの意味

 投稿者:藤井良彦  投稿日:2006年 6月27日(火)19時33分22秒
  続稿を書き継がせて、いただきます。前稿では、「コレクションとは、集まった物たちに自分を語らせる…つまり自己表現の手段である」と書きました。「現代詩壇」の大家‘大岡信(まこと) さん(75歳)’は現代を代表する詩人でありますが、また同時代の美術の現場とも深いかかわりを持ちながら、詩歌の世界でめざましい活動を続けてきた批評家的存在でもあります。多くの美術家と交流を保ちながら、彼らを批評し、友人としてもつきあい、励ましの言葉を忘れず、そしてともに歩んできた方です。その交流の過程で、いつの間にか身の回りに自然発生的に集まってきたもの。それがここで言う「コレクション」というわけです。美術家から贈られたもの、自ら自費で買ったものもあります。自分の作品、詩と交換したものもあれば、詩と絵画で、画家と協同制作したものもあります。その顔触れも実に、多彩を極めていますが、ここでは一人一人の名前を連ねることは、長くなり興味を削ぐことにもなりますので割愛させていただきます。その一つ一つの作品に、詩人と美術家との深いやりとりの歴史が伺えます。肝心なことは、やりとりのあった相手の方が決して自分と同質の人間ばかりではないと言うこと、むしろ異質の存在であったことに注目したいと思います。大岡さんが、以前にこんなことを述べておられます。「自分の親しくした美術家たちはそれぞれきわめて個性的で、容易に立ち入ることができない心性をもっていた。だが縁あって彼らと相知ることで、自分自身の生の領域がどれだけ未知の部分を秘めているかを教えられることが、少なからずあった…」と。大岡さんは緊張感をもって、他者と交わり、ぶつかるとき何が起こるのか、自分がどうなるのかを興味津々で眺めているような所があると感じます。それは、彼が、自分自身の存在が未知なものだと確信しているからです。大岡さんは詩を作る表現者ですが、‘確かでゆるぎない「私・自身」’などというものをおそらく信じていない、むしろ他者との関係においてこそ、人間の姿かたちは際立ってくることを承知しているのです。
このこだわりのない、開かれた感覚こそ、多面的で多彩な仕事を展開して止まない現代詩人の、まぎいれもない、強烈な個性というべきでしょう。他者をかえりみようとしない風潮に深く侵された現代社会にあって、「共に生きる」感覚を蘇生させてくれる根源にもなると思います。「物が残るって、いいものです。」
出だしは、「物を整理すること」の必要性を説き、稿を追っていくにつれ、ついに結びでは「物を残すことはいいものです」と論旨を覆している、それほど、「物」をめぐって、「残さない 残す」と言う論議は一概に、かつ一様に扱いかねるテーマかもしれません。貴方が貴重な私財を投じて手にいれられた「物」を片付けて整理してしまうか、それとも大事に残して自分の半生を語らせるのか、その取捨選択は貴方の価値観と感性に委ねられているのです。貴方次第ですよ。
[注釈]
・柳宗悦(やなぎむねよし)1889年3月21日生まれ、1961年5月3日没。東京帝国大学卒業 専攻は宗教哲学。実生活に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした思想家、美術評論家。彼が最も活発な活動を行っていた当時、ほとんどの日本文化人が価値を認めず、興味をしめさなかっった朝鮮文化、特に李氏王朝の民芸文化の素晴らしさを、彼独自の炯眼をもって見抜き、世に広く、問うた。現代にあっても、この業績は高く、評価されている。
・大岡信(おおおか まこと)1931年2月16日生まれ。東京大学文学部国文科卒業。学生時代から既に、詩人として注目されていた。東京芸術大学客員教授。1979年(昭和54年)から、朝日新聞で「折々の歌」の掲載をはじめ、現在も連載中。叙勲、受賞は数々。最近で最も眼をひくのは、2003年(平成15年)文化勲章受章があげられる。
 

好きな物を集める コレクションの意味

 投稿者:藤井良彦  投稿日:2006年 6月26日(月)18時26分56秒
  前稿では、自分の身辺から、‘物を片付ける 整理する’ことについて、「夢想」に終ってしまうかもしれないと、危ぶみながら‘生きている痕跡’をだんだんと消しながら生涯を終えたいと願っておられた、作家の「藤沢周平さん」の言葉を紹介しました。この一文に対するスタッフの方から寄せられましたコメント、物を捨てないで持ち続けることへのこだわり、その気持ちから一転して、物を整理して捨てることへ切り替える気持ちがゆれ動く、微妙な感情が日常の暮らしの明け暮れの中に見え隠れしている有様が伺え、大変興味深く、読ませていただきました。さて、この世で、生を享受している限り、黙っていても物は増えてきます。その現象は、生きてきた「痕跡」だからです。そこで、むしろ「望ましい、いい形で痕跡を残す」ことを考える方が自然な感情の発露、発想と言えるかもしれません。
この世間では、俗に、「コレクター」と称せられる、物を集めることへのこだわりに情熱を燃やし続け、マニアックで熱中症に冒されているかのような集団が存在し、「コレクション」と言うパーフォーマンスにわき目もふらず集中している事象はよく、ご存知でしょう。「趣味」として、その人独自の「性癖」として、時には次元をエスカレーションさせて、「使命感に燃えて」、能動的に物を集めている世界です。
集まってくる物は、おのずとそこに一人の人間像を浮かび上がらせてきます。集まった物たちが、それを集めた人間を物語るのです。人間の側からすれば、集まった物たちに自分を語らせる…つまり、自己表現の手段とも言えましょう。昭和の戦前の時代、「生活に即した民芸品に着目して‘用の美’を唱え、民芸運動を主導した「柳宗悦」は、こう言っています。「集める者は、物の中に<他の自分>を見出しているのである。集まる品はそれぞれに自分の兄弟なのである。血縁の者がここで邂逅するのである。」
狙いをを定めて、「自分のいい兄弟たち」を集め、それによって自分自身を語ろうとする…物は何であれ、そこのところがコレクションというものの最も肝心な要点でしょうか。
以上、今度は、視点を百八十度、転換させて、「物を片付ける」ことから「物を集める」ことに論及してみました。このあたりで、一旦、お休みをいただいて、次はもう一人の有識者の方、現代詩の代表的な大家「大岡信(まこと)さん」が「コレクション」に寄せる熱い思いを紹介してみたいと思います。なお、お断りするまでもなく、この一章は、前稿でお知らせしましたとおり、「読売新聞 5月27日(土曜日)版 編集委員 芥川喜好氏による‘共生の痕跡 刻む物たち’」に基づいて、記述したものであります。今回も、よくぞここまで、ご辛抱いただきまして、お読み下さいました。重ね重ね、お礼を申し上げます。次回となりますが、拙文ではありますが、続編をお読みいただけばと存じます。
 

永遠のテーマ・・・

 投稿者:スタッフ  投稿日:2006年 6月23日(金)23時58分29秒
  物を方付ける、整理することは、たぶんこれから一生続くのでしょうね。ほんとに油断をするとどんどん物は増え続けますよね。ずっと私も方付けるストレスをかかえていましたが
「捨てる技術!」を読んで目からうろこでした。まず、物を減らさないと!捨てて困るものはほとんどない。買う時は本当に必要な物だけを買うようになりましたね。ひとつ買ったらひとつ減らさないといけないと思うと慎重になります。
それから物が減って、すっきりした部屋の気持ちよさを味わうと捨てることが少し快感にも
なってきました。でも子供には物を大切にする気持ちは大事にして欲しいし、伝え方が難しいです。でも物があふれている現代。何でもいいのでなく、ほんとうに必要なもの、自分らしいものを選んでいる方が多くなってきましたね。消費者の目が肥えた分、お店は大変。
話はもどりますが、以前本で読んだのですが、50歳を過ぎてから自分が亡くなった時に身内が処分方法に困らないようにどんどん物を減らしていっているという方がおられました。
悲しいことですが 物って自分以外の人には殆ど価値のないものなのかもしれませんね。
物に振り回されないように・・・と思っているのですが今日も新たに物が増えました。
物との葛藤は永遠に続きます・・・
 

以上は、新着順71番目から80番目までの記事です。 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  |  《前のページ |  次のページ》 
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