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「整理 物を片付ける」への思い
投稿者:
藤井
投稿日:2006年 6月21日(水)20時12分47秒
私達の日常を振り返るまでもなく、暮らしの明け暮れの中に、気がついてみますと所有する「物」がどんどんと、無際限に溜まってきます。必要なもの、不必要なもの、値打ちのあるもの、値打ちのないもの、図体の大きいものから手の中に収まるような小さなものまで雑多なものが、知らず知らずのうちに、身辺にあふれてきます。今回は、齢を重ねるうちに「整理の思いが心の中を占めるようになってきた」という感慨を吐露された、ある作家の言葉を、引用して紹介してみましょう。その作家とは「藤沢周平」さん。もう、お亡くりになられて、久しくなりますが、私が、少し前のことになりますが、豊かな情感で時代小説に独自の境地を切り拓き、営々と築かれていった「藤沢文学の珠玉の如き作品の数々」をこよなく愛し、いつくしみ、尊敬と憧憬の眼差しで読み進んでいったことは、今でもまざまざと記憶の中に、甦ってきます。以下は「周平独言 中公文庫」(藤沢周平さんのひとりごと)の中に収められている「書斎のことなど」というエッセイから取らしていただきました文章の一節です。毎度のことになり恐縮ですが、いくらか長くなりますことをご勘弁いただいて、忠実に周平さんのお言葉を記して参りたいと思います。
「……私の部屋が書斎らしい体裁を整えるということは、まずあるまいと思う。なぜこうなのかということを、理由をはぶいて結論だけ言えば、私は所有する物は少なければ少ないほどいいと考えいるのである。物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終ることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する。
だが、実際にはそうはならず、私がこの世におさらばした後にもやはり若干の物は残るだろう。そのことを私は、ある意味では醜態だとも思い、気味悪いことだと思うのである。」いいですね、このお言葉。この切ない思いがその通りに、叶えられたら、最高ですね。何の後腐れもなく、誰にも世話を掛けることもなく、身を軽々と保ちながら、あっさりとあちらの世界へ旅立つことが出来そうです。と言っても、実はこれはそんなに簡単に出来ることではありません。「ふっと消えるように生涯を終えた」藤沢さんも痕跡を消すことを出来なかったのです。自ら欲した志とは違って、おそらく物を減らすことは苦手な方であったに違いないと思います。生きている限り、黙っていても物はどんどん増えていきます。それは生きてきた「痕跡」だからです。周平さんが抱いた夢想はやはり夢想であったのか。むしろ、「いい形で痕跡を残す」ことを考える方が、自然な発想なのかとも考えられます。
いやー、今回もだらだらと長くなりましたね。どうでもいいよ。「整理」をテーマとする話なんて。この文章自体をもっと整理したらどうなのとお叱りを蒙りそうですね。すいません。この寄稿文にはちゃんとしたネタがあります。最後にそのネタの源を記しておきます。「読売新聞 5月27日(土)版 ‘共生の痕跡 刻む物たち’ 編集委員 芥川喜好
氏の記事文」
何を私は、お読み下さった方にお伝えしたかったのでしょうか。周平さんではありませんが、「整理」と言う思想に最も縁遠い私とあろう者が。
ご投稿ありがとうございました。
投稿者:
スタッフ
投稿日:2006年 6月18日(日)20時02分53秒
数回にわたる長文メール本当に有難うございました、体調芳しくない中、御無理なさったんではないかと心配しておりました。藤井様の見聞の広さに毎度の事ながら感服しております、どうぞまたご負担でなければ色々な知識を伝授してください、ものすごく勉強になります!院長
長尾谷高校について
投稿者:
藤井
投稿日:2006年 6月15日(木)12時37分9秒
3回にわたって、投稿しました私の記事に誤りを発見しましたので、訂正を兼ねて、少しばかり書かせていただきます。まず、この高校ですが、公立高校ではありません。学校の正式名称は「学校法人 東洋学園 長尾谷高等学校」。岡田院長も言及されていましたが、大変ユニークな発想と新しい教育思想のもとに、創立された学校です。新しい斬新なシステムを以て運営されている、通信教育を主眼とした単位制高校です。生徒は自分の時間を自由に使って、自らの興味、関心、能力等を活かし、自らの進路を切り拓いていくことが出来るカリキュラムが組まれていると謳われています。私が閲覧したインターネットの「学校紹介」の記事によれば、「教育内容、履修形態を多様化し、あらゆる環境の中で学習を継続できる教育の場として高い評価を受けている」と自負されています。因みに、校訓は「誠意 創造 感性」となっています。さらに、言葉を継いで、「本校は、自らの個性を活かし、自分のペースで学習したいと願っている生徒にとって、自由にのびのびと学びながら、高等学校の卒業資格を取得できる仕組みを作り上げている。」と自信のほどを示されています。本校の所在地は枚方市長尾元町2丁目29−27。姉妹校には京都校、梅田校、奈良校、ナンバ校があります。他校にはみられない、ユニークで自由な教育システムが CyberSchool と自ら高らかに宣言している所以となっているのでしょう。本校が今年の3月下旬に行われた「第28回全国選抜高校テニス大会(読売新聞社など主催)」で、団体男女、個人男女の全種目完全制覇を成し遂げたことは既報の通りです。その他にも、本校は、数々の赫赫たる戦果をを挙げております。読売新聞社がメインの主催者であったからこそ、本記事の取材と掲載が日の目をみたのでしょう。頷けます。前稿を補遺する積りが、とても長くなってしまいました。申し訳ありません。お読み下さった方に深甚のお詫びを呈したいと存じます。これにて、本題の投稿記事は全て終わり、完結とさせていただきます。
続続大阪テニスアカデミーのお話
投稿者:
藤井
投稿日:2006年 6月14日(水)22時52分34秒
‘続続’とは少し、大袈裟過ぎました。素直に、飾り気なく第2稿、第3稿とした方が良かったと感じています。本題に入りましょう。さて、創設はしたものの、それからが大変。‘釜口さん’の苦闘がはじまります。外国語はお手の物の彼は、欧米のテニス専門雑誌、論文、参考文献を片っ端から読み漁り、選手の育成と指導の方法について学んでゆきました。もともと学究の徒であった、彼にすれば、テニスに関連する資料を求め、研究を重ねることはさほど、苦にならなかったかもしれませんが、天文科学とは縁もゆかりもない、テニスの世界のことですから、全く苦悩がなかったといえば、嘘になるでしょう。とにもかくにも、スクールで学ぶジュニア選手達は、次第に力をつけてきました。ここで、問題になるのが高校進学という難問です。当時、府内では女子のスクール生が身に付けた技量とテニスセンス、つまりその実力発揮に見合う進学校が見当たらなかったことです。そんな時、‘釜口さん’は父の友人で「四天王寺高」の滝藤尊教校長(後に四天王寺の管長になられた方)から、学校にテニス部を作るという話を耳にしたわけです。そこで、彼はスクールの女子出身者が入学できたのなら、監督を派遣するなどのバックアップを厚くして、部員の指導を「テニスアカデミー」が担当すると提案。さらに、この思考を発展させて、部活動を丸ごとスクールが全面的に請け負うという画期的な案を出し、これが学校側に受け入れられて、ユニークな試みとして、スタートいたしました。1985年のことです。ここのところが、彼が並みのテニス指導者ではないといわれる理由、つまり彼が称して「サイバーテニス」の生みの親と言われる所以があると私は思います。私の知人が毎日のように高層ビジネスビルの高所から眼にしている風景、南港のスクールでは、下は小学生から、上は大学生まで、ワイワイガヤガヤ言葉を交わしながら、同じコートで練習に熱中しているそうです。前にも言いましたが、個人レッスンが中心の東京、関東とは一味もふた味も違って、こんなところにも浪速の<ゴッタ煮的な良さ>があると。……これはこの記事を寄せられた音田記者の述懐です。このゴッタ煮的な雰囲気を慕って、全国から集まった50人以上のスクール生が入寮し、合宿生活を送っているとのことです。しかしこの人達はやはり、それぞれの地では腕自慢で、親からの期待を一身に受けた、選りすぐりの精鋭揃いでしょうね。しかもその中には、将来、プロを目指す高校生が7人。大阪の地に足を着地させ、育てられた、いや育ててもらった彼らが夢のなかの夢に終わってしまう公算が大きい、ウィンブルドンの地で並み居る観衆をどっとどよめかすこと。それが‘釜口さん’そして「大阪テニスアカデミー」その他沢山の関係者、生みの親へ対する一番の恩返しだと、彼は生徒達に教えているそうです。いい話ではありませんか。テニスが飯よりも大好きであった私が、ひとりよがりの感慨で手放しでこのお話に感動してしまったのが、この度の記事の投稿に繋がったわけですが、それにしてもこんなに長くなろうとは、予想だにしませんでした。辛抱してお読みいただいた諸氏には、かなりの苦痛を強いたことと思います。お詫び申し上げます。最後になりましたが、駄文といわれても致し方ない記述の投稿と記載をお許しいただいた当ブログの管理者と医療スタッフの皆さん方に心から感謝の意を捧げたいと存じます。本当に有難うございました。
(無題)
投稿者:
スタッフ
投稿日:2006年 6月13日(火)23時06分22秒
ご投稿有難うございます谷口です!テニス漫画でポピュラーなものは、少し古いんですが(エースをねらえ!)が一番有名でテニスブームを巻き起こしたアニメであると思います。
私もテニスを習っているんですが、なかなか思うようにうまくなれない日々が続いています
。一度ご指導宜しくお願いいたします。
続 大阪テニスアカデミーのお話
投稿者:
藤井
投稿日:2006年 6月13日(火)21時31分28秒
興味が持てないお方は、この文はネグレクトして下さって結構です。それでは、昨日の続編です。
元理学者で、大阪大学理学部研究科で太陽系宇宙の成立過程の研究解明に打ち込んでおられた‘釜口さん’がまさしく門外漢といわれても不思議ではないテニス指導者の途を歩み始められたのが、1978年。テニスブームの最盛期が1980年前後と言われていますから、当時の勢い、ブームに乗ったといえるかもしれません。しかし、ブームは長続きしなかったですね。大阪あるいは近郊の名門テニスクラブが経営不振のため、ぼつぼつと閉鎖もしくは規模縮小の羽目に陥っていったのは、それから間もなくでした。それからというもの、テニスクラブが減少こそすれ、新規に増えることはなかったと記憶しております。‘釜口さん’がテニスクラブの経営に乗り出したのは、知人から「閉鎖されて、行き場がなくなったジュニア選手の受け皿を作ってくれないか」と懇請されたことが動機になったそうです。ここで、往時の大阪でのテニス事情について触れてみますと、最盛期、府内に約150もあったクラブは経営の行き詰まりや経営者の世代交代(受け継ぐべき次世代の方がテニス嫌い)の影響で、約80に半減したとのことです。ジュニアテニスマンあるいは少女テニスウーマンを主題にした「人気アニメ 」があるそうですが、私はよく存じていません。どなたかご存知ですか。機会があれば、ご教示下さい。さて、それ以降、約10年前まで、3000人前後で推移してきたジュニア選手はここ数年、先述した「テニス漫画」の人気にあおられ、急増。5000人を突破する勢いだそうです。ジュニアの世界では、一寸したテニスブームですかね。高校テニス界を見渡しますと、清風が強豪として知られていましたが、近年では、四天王寺、先述の長尾谷が台頭し、今では東京、神奈川、に比肩するテニス王国ということです。(この情報は大阪府テニス協会から)こんな経緯があって、‘釜口さん’はお父さんな亡くなられたのを機に、研究者としての将来を諦め、家業を継ぎそして新たにご自分の事業として着手したのが、住之江区の自宅横にテニスコート新設し、ここをを拠点としたテニスクラブ「大阪テニスアカデミー」の創設と運営でした。
随分と長話となってしまいました。まだ、「結び」までたどり着くのに少々かかりそうです。申し訳ありません。‘続続編’を書き継ぎませんと、終わりになりませんね。このあたりで、一休みしましょう。もう少しのご辛抱です。
大阪は外国です。
投稿者:
スタッフ
投稿日:2006年 6月12日(月)23時40分19秒
毎回の事ながら、実に興味深い文章有難うございます。私自身、大阪生まれの大阪育ちの人間でありまして、この文章には凄く共感を得られます。よく言われる事ですが、大阪はジョウクも通じフレンドリーであり、日本で一番外国に近い所であると言われています。これからも益々この町が発展し世界の大阪になればコレ幸い。
大阪テニスアカデミー 長尾谷高校の全国制覇
投稿者:
藤井
投稿日:2006年 6月12日(月)16時11分38秒
本日の投稿は、テニスもっと幅を広げてスポーツ全般に日頃、馴染みがない、興味が持てない、関心がないといわれる方には辛くて、しんどくて、食い付きようがない記事かもしれません。敢えて、そんなご批判を甘受する覚悟で、書き込みをいたしました。ご容赦下さい。
この記事は、実は私の昔からのテニス仲間で旧友の一人、H.Iさんから提供いただいたものです。発信源は「読売新聞 6月6日(日)地域版」に掲載された、音田裕一郎記者が聞き手として、取材された一文であります。
テニス通の方であれば、多分ご存知だと思いますが、枚方市の長尾谷高校の男女テニス部が今年の全国選抜高校テニス大会で、団体、個人ともにアベック優勝を遂げました。男子は創部2年目。女子は3年目という快挙であります。この公立高校の男女両部の監督を「教え子」として、また「指導者」として送り込んだのが、これから話題にいたします「大阪テニスアカデミー」の経営者であり指導者でもあります「釜口明治(55歳)氏」その人であります。強くなるには、お金がうんと掛かる有名コーチによるマンツーマン指導や実績のある外国著名テニスクラブへの留学の途しかないというのが、東京、あるいは関東一円でささやかれている、現実の姿であります。こんな現状に向き合いますと、才能があっても、資力のない家庭に育った子供はその資質を伸ばすまでもなく、摘み取られてしまいます。そんな‘常識’に挑戦し、これを引っくり返そうとチャレンジしたのが、他ならぬ‘釜口さん’。小学生から高校生までのジュニア選手の若い芽を、真っ向から向き合って育てること約30年。30年ですよ、長かったですね。世間一般に流布する常識に歯向かうことは、言うほど生易しいことではありません。このスクールで育った人材を監督として、派遣した「四天王寺高校(天王寺区)」「相愛大学(住之江区)」に続き、わが地元も地元、長尾谷高校が日本一になったことで、彼の独自理論と指導法が正しかったことが立証されました。以下は、私が拙い文章で綴るよりは、記事の原文をそのまま受け継いだ方が、皆さんの正鵠を射たご理解を得るのにふさわしいと感じましたので、紹介して参ります。
「大阪は、新しいモノをおもしろがって受け入れる街。元宇宙物理学者の私が、数学の確率論を応用して考案した型破りなテニス理論と指導法「サイバーテニス」を保護者や学校関係者ら多くの人々が暖かく、応援してくれたからこそ、ここまで来られたのだと思います。」
ここからは、私の言葉と記述です。まず、「サイバーテニス」とは。???。数学の確率論から、導き出したと釜口さんはおっしゃっておられますが、学生時代、教科の中で、一番苦手中の苦手、どうやって数学の単位を取得したのか今でも、半信半疑の科目、数学の確率理論、確かに学んだ記憶はあるものの、中身は理解の域をはるかに超えた代物、この御仁は真にテニス界の宇宙人、ETかもしれません。私もアマチュアテニスマンの端くれ、「サイバーテニス」たるもの、何とか分ってみたいですね。知人は勤務先のオフイスでもあります住之江区にあるOTCの高層ビルの窓辺から、このテニスアカデミーのレッスン風景がよく見えるとのことでした。最初は公営のテニスコートを使った一般人のスクールかなと思っていたそうですが、それにしては、レベルが大変高い、また小さな子供から、高校生らしき高学年のプレイヤーも混じっていて、全員が生き生きと動いていると感じていたそうです。記述が大分、長くなりました。ここらで、一休みいたします。まだ、続きがありますので、次回の投稿を楽しみにして、お待ち下さい。もし、ここまで、辛抱して読み続けていただいた方には心からの感謝と労いの言葉を贈りたいと存じます。有難うございました。
素敵な詩、きれいな写真ありがとうございます
投稿者:
スタッフ
投稿日:2006年 6月 7日(水)00時02分33秒
藤井さんの書いて頂いた詩、子育て真っ最中の私は読みながら思わず、うん、うんとうなずいてしまいました。日頃は忙しさで子供の大切さをゆっくり考えるゆとりがなかったりしますがこういう詩を読むと胸にじ〜んときますね。
改めて子供という存在の大切さを認識させられました。
最近は物騒な事件が多くて安心して外で遊ぶことすらできなくなってきて大変です。
藤井さん、元気がでてきたようでよかったです!
山田池の熊さんいつもお写真有難うございます。山田池の菖蒲はいつごろまでみられるのでしょうか?
山田池公園
投稿者:
山田池の熊
投稿日:2006年 6月 6日(火)15時53分35秒
本日の山田池は
菖蒲が美しく 見ごろでした
http://www.e-from.com
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