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吉備太郎の西大寺会陽考

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2016年 2月21日(日)19時48分2秒
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   会陽(えよう)裸祭りは日本各地にあるらしい。当地の西大寺会陽は高野山真言宗別格本山/西大寺観音院で行われるもので、裸祭りの筆頭に挙げられる伝統を誇っている。「天下の奇祭」、「日本三大奇祭の一つ」としての人気を保持している。その歴史は遠く奈良時代に始まる。昔は午前零時を期してであったが、会陽500周年を迎えた2010(平成22)年から午後10時に変更された。

 会陽とは、修正会結願(しゅしょうえけちがん)行事の地域的名称である。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがある。岡山県には金山寺会陽(岡山市)、安養寺会陽(美作町)、岩倉寺会陽(西粟倉村)など多くの会陽がある。何といっても全国に名を知られているのが西大寺会陽(岡山市)であり、1959(昭和34)年、岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。

 この西大寺会陽に、恥ずかしながら小生はこの年になるまで出向いたことがない。阿波踊りには5年連続詣で、最後の年に徳島警察署の変な信号に引っ掛かり、交通違反切符切られて以来憑き物が落ちたように無沙汰する身となったが、県外の出し物に興じる割には地元のそれに詣でていなかった。今年、それはオカシイと非常に気にし始めた。

 西大寺会陽に行くことがなかった最大の理由は2月第3土曜日と云う極寒の最中の祭りだからである。当地では、「奈良のお水取り」として知られる東大寺の修二会の法要行事と同様に、これを境に「備前平野に春を呼ぶ」と云われている季節メロディーの行事となっている。そういう値打ちもんのものではあるが、寒さが苦手の私は敬遠し続けていた。

 ところが、今年は何となく行きたくなった。それも数年前にできた西川原駅を外からは確認しているものの実際に乗車してなかったので、その駅の初乗車も兼ねて電車で行ってみたいと思った。朝から雨模様だったが、天気予報で夕方には止むと知らされていたので気にならなかった。実際、雨は5時頃に止んだ。午後6時半頃の電車に乗った。車内はほとんど高校生、大学生だった。忘れていた青春を思い出し懐かしかった。半数近くの若者が携帯スマホでラインしているのが微笑ましかった。新しい風俗だなと思った。

 高島、東岡山、大多羅の次が目的地の西大寺駅で約15分ほどで着いた。駅を降りると花火が打ちあがっていた。花火そのものは幾分か間延びしており、たいしたものではなかったが、雰囲気の盛り上げに一役買っていた。同時下車した人がそこそこ居り、その人の流れに添っていくうちに西大寺に着いた。道中、裸衆詰所が灯りを灯しており妖気を漂わせていた。商店街のあちこちに居酒屋が開設されていた。寺院入り口近くの両サイドに夜店が並んでいた。この夜店通りの幅がまことに味わい深く、進む者と来る者が互いに二、三人同士で交わると肩が当るかどうかにしてある。これが何ともいえない味わいがある。

 午後7時頃、境内に入った。既に見物客が多い。報道人も多い。地元消防団、警察官も相当数出張っている。まず本殿に拝をしてからあちこちを見て回った。午後3時半頃、「少年はだか祭り」が行われ、地元の小学生男児が宝筒の争奪戦を繰り広げる。未来の頼もしの若衆予備軍である。女性の水垢離も行われ、毎年50名人近くがさらしに白襦袢を身につけ、男と同じように垢離取場、本堂、牛玉所殿を巡って祈願する。新しい岡山名物踊りとして評価を増しつつある「うらじゃ」による盛り上げも行われている。それらの余韻が残っている中を散策した。朝からの雨のせいで地面が少しぬかるんでいる。

 暫くすると、「ピッピッ」の笛の音が聞こえて来た。小生ごとながら、この笛の音に弱いんだ。それはともかく、裸衆第一陣とも云うべき数百人の隊列が「ワッショイ」の掛け声と共にやって来た。4人縦列しており先頭が学芸館高校の横断幕を掲げている。それも一直線に本堂に向かうのではない。仁王門方向に向かって突き抜け、暫くすると戻って来て、本堂前に整列し直し、気合いが満ちた頃を見計って本堂の大床(おおゆか)に雪崩れ込む。圧巻である。争奪戦の模擬演習をしているのだろう、両腕を上げ喚声を挙げ本押しする。本堂2階から柄杓水が掛けられるたびに蒸気になる。この往来を二度、三度繰り返す。

 これを少し解説しておく。午後8時頃、褌まわし姿に白足袋の男たちが西大寺境内に続々集まり、寺の前を流れている吉井川の水を引いた垢離取場(こりとりば)で水垢離(みずごり)をして身を清める。その後、本堂、千手観音、牛玉所殿(ごおうしょでん)の牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の順にお参りする。本堂裏手を抜けて四本柱に至る。四本柱をくぐり抜けたあと本堂大床で本押し模擬をする。裸衆は垢離取場、本堂、牛玉所殿を3度巡る。本堂建物の前半分を大床といい、ここで「地練り」(じねり)といって「ワッショイワッショイ」と掛け声をかけながら互いを押し合う。それを見て、清水方(せいすいかた)が頃合いに御福窓の脇窓から柄杓で水をまく。

 続いて大人の連隊がやって来た。先頭に横断幕を掲げ、どこの連か分かるようにしている。思い出すままに記すとNTT、岡山トヨペット、武蔵倶楽部、旭電業、岡山土地倉庫、三井住友等々だったと思う。これらは連の名ではなくスポンサー名かも知れない。各連隊が五月雨式に境内を練り回る。これも「地練り」と云うのだと思う。その後、高校生の演技同様に本堂前に整列し、気合いが満ちた頃を見計って本堂の大床に雪崩れ込む。「ワッショイ」、「ドスコイ」、「ワッショイ、ドスコイ」、「ワッショイ、ワッショイ、ドスコイ」の様々な掛け声が連によってあるようである。

 本堂の大床に向かう道中、両翼に人垣ができており、若い娘が、通り過ぎる裸若衆と握手したり肩を叩いてエールを贈っている。これが何と云うのか妙に自然体でやり取りしている。ここに陣取る若い娘たちはこれをやる為に毎年来ているのだろうと思うほど嬉しげ楽しげである。雰囲気が盛り上がる。

 最近は外人部隊の連もあるようで総勢50名ぐらいになっていたのだろうか。これまた楽しそうに参加している。殆どが白人なのだが黒人が一人居た。カメラマンに人気があるようで、外人部隊の連に付きっ切りでフラッシュを焚き続けていた。予感として、外人部隊の連は今後相当に増えて行くのではなかろうか。まさに阿波踊りの心境で「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」の精神が受け継がれて行くのではなかろうか。

 ちなみに、この黒人は、テレビ東京系で放送中の人気バラエティー番組「YOUは何しに日本へ?」のナレーションを担当しているタレントのボビー・オロゴンさん(42歳)だった。同番組収録のため西大寺会陽に初挑戦し会場の熱気を体当たりでリポートしたことになる。ボビーさんは「宝木獲得に燃える男たちの姿に感動した。祭りの神聖な空気感を多くの人に伝えたい」と話しとのことである。

 この雰囲気を更に盛り上げる為、俄かに太鼓隊が登場する。紺地服の男衆5名、紅地服の女衆5名が躍り出て来て、太鼓リズムを奏で始める。女衆ドラマーが裸衆に接近してマンツーマンで太鼓を叩くと踊り始める若衆も出る。頃合を見て大太鼓が入る。大太鼓のバチ音と小太鼓のバチ音が絡んで最高潮になる。この太鼓のリズムの流れる間、「地練り」が続いている。

 小生には何やら縄文時代の祭りの光景、例えばアイヌの「イヨマンテの夜」に繋がる情景が垣間見えた。会陽は縄文時代との今に続くDNAの連綿を証しているのではなかろうか。ちなみに太鼓につき次のように解説されている。「祭りの開始を告げる会陽太鼓の打ち手は全て女性である。心の炎を燃やして男たちを鼓舞する炎祷と龍神の2曲を交互に演奏。これから始まる男たちの裸祭りに祈りを捧げる」。

 同時に気づかされた。これはどこかで見聞きした風景に似ている。ズバリ云おう。そうだ、これは全共闘系学生運動のデモの光景である。ヘルメット覆面がフンドシに代わっただけに過ぎない。裸衆の一連隊はセクトのそれになぞらえられる。学生運動をそういう風に捉えたことはなかったが、案外これが深層の真相だったのかも知れない。ピッピッの笛、それに合わせて「ワッショイ」、「ドスコイ」の掛け声で前進し、最後に本堂へ駆け上る姿は、むしろソックリではなかろうか。してみれば、あのデモは当人たちが気づかなかっただけで、会陽裸祭りの乗りと同じで実は縄文人のエネルギーを発散していたのではなかろうか。

 くどいけども書き足しておく。学生運動が逼塞して久しい。もはや壊滅されきっており往年の活力までの復元は望むべくもない。今となってはそれを回顧することしかできない。その際の頂点のシーンとして東大安田砦攻防戦が挙げられる。しかしそれは滅びの美学のそれでしかない。本当に追憶すべきは全共闘集会のシーンの方ではなかろうか。こちらは成長期のそれである。

 1968年11.22日の日大・東大闘争勝利全国総決起集会の光景が次のように描写されている。「午後2時頃から安田講堂前に集結し、銀杏並木と正門前が約2万名の学生でうずめられた。安田講堂前の広場は赤、白、青、緑、黒、銀色のヘルメットで埋めつくされ、その周囲に報道、一般学生が隙間なく立ち並んでいた。講堂正門には各派と各大学の旗が立ち並び、それを背景に各派のマイクアジテーションが続いた」。この全共闘が1969年9.5日、学生約3万4000名が結集した全国全共闘会議結成へと続く。さぞかし圧巻だったであろう。

 もとへ。裸衆の各連隊は何度となく境内を「地練り」し、仁王門と4本柱ゲートを少なくとも3回以上出入りを繰り返す。そうこうしているうちに定刻が近づく。辺りは静けさを装い始める。10時1分前、堂内の明かりが消される。いよいよ宝木が投下される寸前、裸衆の興奮は最高潮に達し、地響きのようなドゥオーの雄たけびが響きわたる。「裸たちのどよめきの声は、古の江戸時代、遠く四国の香川県まで届いた」と伝えられている。午後10時。真っ暗闇に消灯された堂内に雷鳴のようなフラッシュが点滅点灯する。僧侶たちが高さ約4mの本堂の御福窓(ごふくまど)から、まず小ぶりな枝宝木(えだしんぎ)を100組投げる。これは宝木の功徳のお裾分けの意味あいがある。

 最後に院主が、手にすると福を授かると云われる木の棒を束ねた守護札の宝木(しんぎ)を2本投下する。同時に明かりがつき千人余の裸若衆が奪い合う。裸衆は万歳のように両手を上げるのが鉄則で、手を下げていたら周囲からの圧力で下に押されていき踏みつぶされてしまう。大量の水が撒かれるが一瞬で湯気に変えてしまうほどの熱気に包まれる

 本物の宝木は修正会の2週間、高価なお香が焚きしめられているので非常に良い香りがする。但し、裸衆たちにはどれが枝宝木でどれが本物の宝木なのか分からない。運よく宝木を手にすることができたら、まわしの中に入れて走り逃げる。仁王門を出るまでは奪ってもいいというルールになっており、その阻止線を必死で搔い潜ることになる。宝木を手にすることができるかどうかは運次第で容易なことではない。「宝木は奪うものではなく授かるもの。信仰心を持ち精進していれば福は自然とやってくるのだ」と云われている。

 宝木取り争奪戦は例年凡そ25分近く続く。あちこちに渦ができる。その渦が次第に仁王門へと向かって行く。渦の下では熾烈な宝木取りが行われている。柵の外に待機している消防士が渦に水をかけるが直ぐに蒸気となる。「宝木が抜けたもよう」というアナウンスがあるまでもみ合いが続く。2本目の宝木が何時抜けたのか分からず、アナウンスが1回だけで終わったりアナウンスがないときもある。宝木がもはや境内にないことが分かると、揉み合っていた群衆が次第にテンションを下げ始め裸祭りが終了する。「俄然筆舌に尽くし難い争奪戦が展開され、境内を西に東に裸の渦となってもみ合う様は勇壮無比である。その御福(ごふく)にあやかろうと3万人の参拝者が境内を埋め尽くす」と記されている。

 参加者の中には正月から精進潔斎し、宝木投下に臨む熱心な者が大勢いる。阿波踊り同様にこれがやりたくて一年を生きている者が居る。わざわざ遠方より帰ってくる者も居る。県外の者も居る。県外の裸祭りに出向くものも居る。そういう連中がチームを作り、宝木獲得の練習に精を出し、作戦を綿密に立てグループ参加している。主なグループは「林グループ」(林昭二郎代表、約40人)、寺坂グループ、梶原グループ、阪田グループ、庄司グループらで100近くあると云う。

 クライマックスの宝木の争奪戦を最終的に制し宝木を手にした者を取り主(拾い主)と云う。境内を抜けた取り主は速やかに寺の近くの岡山商工会議所西大寺支所内に設けられた宝木仮受所に持って行く。宝木は白米を盛った一升枡(ます)に突き立てられる。直ちに寺に連絡され、検分役の僧侶が宝木削り(宝木の原木から宝木を削る行事)のときに切り放した元木と一升桝の宝木の木理(もくり、木目のこと)が合致するかどうかを判定する。

 鑑定により本物と認められれば取り主は晴れて福男に認定され、宝木の協賛者にあたる祝主(いわいぬし)が用意した祝い込みの場所まで宝木を持って行く。近年、祝い主は会陽奉賛会により事前に決められている。寺から赴いた山主が宝木を朱塗りの丸形の厨子に納め、祈願して祝い主に渡す。かくして宝木は祝い主のものとなる。祝主は「御福頂戴」(ごふくちょうだい)と書かれた45cm×120cmの白い額行燈(がくあんどん、横長の額の形に似た行灯)を掲げて宝木を披露する。福男には表彰状が授与される。福男にはその年の幸福が霊的に約束されている。宝木は1年で御利益がなくなる訳ではないが、祝い主は毎年会陽の始まる前に宝木を寺に持ち込んで祈祷を受け、新たな気持ちで年を迎えると云う。

 以上が私の西大寺会陽見聞録である。充分堪能させてもらって帰路についた。来て見て、宝木取りの瞬間だけが素晴らしいのではない、そこに向かうクライマックスまでの舞台がすばらしいことが分かった。さすがに伝統の産のものだけはある。自分まで福をもらった気持がする。来年も来たいと思った。飲んで帰ろうかと思ったが、一人では何分寂しく過半の流れに従い駅に向かって歩き始めた。

 その道中で、裸衆の道路渡りに出くわした。裸衆が仁王門から潮を引くように引き揚げている。道路は車両止めの歩行者天国になっており次から次へと道路を渡っている。それを両翼で人垣が囲み、特に女性軍がエールを送っている。夫か彼か友達かなのだろう親しく語り合っている者も居る。裸衆は誰も戦いの後の余韻に浸って頬が紅潮し肌が美しく光っている。男の裸がかくも美しいことを問わず語りで晒している。すばらしい男気の香りを発散させている。これに出会いたくて老若男女が会陽に寄るのだろう。

 裸たちは近くの簡易テントやそれぞれのグループ控え所に戻って、着替えを済ませて帰っていく。午前零時15分頃になると境内の裸の数は徐々に減り、やがて静寂な観音院の姿に戻っていくと云う。私は臨時列車に乗り岡山駅前まで戻り行きつけの日本酒バーに行って、今見てきたことを語り合った。幸せな一日だった。
 
 

れんだいこのカンテラ時評№1281

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2016年 1月27日(水)22時25分19秒
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   2016宜野湾市長選挙不正疑惑考

 2015.2.3日付けwantonのブログ「沖縄の選挙とムサシの関連まとめ」、2016.1.25日付けブログ山本直人ブログ「宜野湾市長選挙で報じられない単純な数字」その他を参照する。いずれも資料的情報を貰うのに役立った。判断はこちらで焼き直した。紳士的、上品、遠慮がちに云うのは性に合わないのでズケズケもの申すことにする。

 2016.1.24日、米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選投開票の結果は次の通り。自公派の佐喜真淳(現職、51歳)が27,668票。翁長知事派の志村恵一郎(元県幹部、61歳)が21,811票。前回は千票未満の僅差だったが今回は6千票の大差で佐喜現市長が再選された。当日有権者数は7万2526人。投票率は68・72%(前回63・90%)。

 この結果と数値をどう評すべきか。選管の厳正なチェックの下で算出されたもので不正はないと思うものは幸いである。この者は気分を悪くするだろうから以下読む必要はない。あらかじめ申し上げておく。この結果と数値に対して選管ムサシの稼動を見て取り、いつものイカガワシイ臭いを嗅ぐ者は不幸せであるが同志よ共に確認せんか。

 ちなみに、 沖縄県の選挙でムサシを使用していない市は、那覇市、石垣市、豊見城市。使っている市は、最も早く宮古島市。2009年、南城市。2010年、浦添市。2011年、沖縄市。2012年、名護市、糸満市。2013年、宜野湾市。2014年、うるま市。ムサシマシーンの魔の手が次第に全域を覆いつつあることが分かる。

 興味深いことに、ムサシを使っていない前回の那覇市長選(2014.11.16日)では、反基地派の城間幹子が当選している。翁長雄志県知事は旧那覇市長であり、那覇市長選と同日で沖縄県知事選を争い、3選を目指した仲井らを破り当選している。ムサシを使わなければこうなり、使われるとほぼ絶対的に勝てなくなると心得るべきだろう。

 その昔は、新聞、テレビ両者とも、選挙毎に票の分析を熱心にしていた。面白いもので丁度ムサシマシーンが登場した頃より票分析がネグレクトされ始め、代わりに「政局分析」一色になっている。これにつき次のように指摘されている。「どうして票の分析をしないんだろうか。別にむずかしい解析の必要はない。足し算と引き算だけで見えてくるものはいろいろあるのだから、もう少し分析的な記事を見せてもらえれば報道の付加価値もあると思う」。この言は正論だろう。と云う訳で、私めがこたびの宜野湾市長選の票分析をしてみる。

 与党系の獲得票は2012年/22612、2016年/27668。6056票増である。野党系のそれは、2012年/21712、2016年/21811。99票増。有権者数は2012年/69926、2016年/72526。2600増。投票率は2012年/63,9%、2016年/68,7%。4,8%増。有権者数で2600票、投票率増で3400票が増加したにも拘らず、野党系は99票増、与党系は6056票増だと。ほぼ全部が与党系になだれ込んでいることになる。確率論的に云うと、こんな数字はあり得ないのではないのか。誰か、高名な数学者よ、あり得ることを説明してくれ。でないと、こちらの脳がヒートして寝れない。

 どの選挙区でも、人の投票行動はほぼ固まっており、与党票、野党票の移動は案外と小さいのが経験的に確認できる。ところが、宜野湾市の市長選では有権者増、投票率増のほぼ全員が与党系候補に投票したような結果になっている。これをどう説明すべきか。「これは、普天間基地の移転がさらに遅れて、現状が固定化されることへの危機感が高まったということだろう。票を見るだけで、そうした宜野湾の状況は十分に推察できる」と分析すべきだろうか。こういう類の推理は御用性が過ぎるのではないのか。選管ムサシのフル稼働を推理する方が素直なのではなかろうか。
 

れんだいこのカンテラ時評№1280

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2016年 1月 6日(水)12時04分56秒
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   2016たすけあい党新年声明

 遅くなりましたが2016たすけあい党新年声明をお届けします。本年も共に歩みませう。「何とかしよう日本」、これを合言葉にスクラム組んで押せ押せで参りませう。

 これまでの党声明は次の通りです。「2007声明」、「2008声明」、「2009声明」、「2010声明」、「2011声明」、「2012声明」、「2013声明」、「2014声明」、「2015声明」。今年の「2016声明」は情勢分析論、運動指針論を省きます。屋上屋を重ねるからです。本年は我が党の思想、歴史眼を開陳し批評を請いたいと思います。

 これを提起する理由は、既成の思想が破綻しており、にも拘らず依拠すべき代わりのものが用意できていないことにより、国際ユダ邪による猛烈な洗脳、マインドコントロールを許し続けており、これにより我が社会に徒な混乱、腐敗を見出すからであります。このような事態は依拠すべき思想を持たないからであると考えられます。

 私どもが見立てますところ、世の思想には論理構造式が閉鎖的排他的なものと開放的共棲的なものとの二種類があるように思われます。前者は国際ユダ邪のネオシオニズムが典型です。本稿では論証を略しますが、ああいうものに憑りつかれてはいけません。人間がスポイルされます。それと真逆な教えを垂示しているのが日本神道です。こちらが後者の典型になります。人間がいつまでも瑞々しくなります。そういう違いがあります。

 ネオシオニズムに被れるぐらいなら無思想の方がまだしもマシです。ならば無思想で良いのかと云うとそうでもありません。やはり思想は必要なのです。拠るべき思想が例え積み木崩しになろうとも新陳代謝を繰り返すべきなのです。そういうことを可能にさせる開放的共棲的にして柔らかくしなやかな構造の思想を持つべきなのです。これを玉に例えるなら、玉は飾って鑑賞するものではなく不断に磨いて光らせるべきです。どういう玉を持つべきかが肝心で、良い玉を持てば時代を照らすカンテラ、航路を指し示す羅針盤になると考えます。逆は逆です。

 我が党は既に多くの論考を世に問うております。その中で最も骨格的な歴史の筋に関わる思想、歴史観を披瀝します。詳細はそれぞれのサイトでご確認ください。各党派、有志の皆様におかれましては、ぜひこの立論を集団的討議に附していただけますようお願い申し上げます。目からウロコしてください。

 現代史解析には「国際金融資本帝国主義ネオシオニズム論」が必須です。現在これを端的に「国際ユダ邪論」と言い換えております。現代世界を牛耳る邪悪な主体を「国際ユダ邪」と認め、その戦略戦術に乗せられないよう軍師的采配をしております。これあればこそ現代世界の抗争軸を掴むことができております。この見地に立たずんば世界史の真相に迫り得ないと考えております。

 続く「原日本論新日本論」も有益です。これは、日本史を大和王朝以前以降に二分し、大和王朝以前の日本を原日本、以降のそれを新日本に画別させ、その上で両者の手打ち和解で今日までの日本が作られている、表向き共通一様の日本であるが深層では両派の暗闘が続いているとみなしております。これあればこそ現代日本の抗争軸を掴むことができております。この見地に立たずんば日本史の真相に迫り得ないと考えております。

 それでも足りないものがあると云うのが長年の気づきでした。ようやく掴むことができました。それが「日本語、文明、神道、国体論」です。略してこれを仮に「日本道国体論」と命名しておきます。「日本道国体論」は、日本論、日本語論、日本文明論、日本神道論、日本国体論をジョイントミックス(接合)させた造語であります。これまでこの五論が分離した形で言及されて参りましたが、これらを不即不離的に理解し、そこからロウソクの滴がしたたり落ちるような知恵を汲み上げ生み出すことに成功しました。思想系譜的には日本浪漫派に位置する新たな日本賛美論であるかも知れません。その現代的再生理論と受け止めております。

 「日本道国体論」がなぜ必要なのか。それは日本国体が今まさに溶解させられつつあるからです。我が党は今、日本が国家的、社会的、民族的存亡の危機下にあり、国際ユダ邪の仕掛ける鍋で煮られていると見立てております。「口で愛国、裏で売国」する配下どもにより日本の軍事基地化、原発列島化が強められようとしておりますが亡国の道です。そういう滅びの局面により失われつつあるが故に見えて来たのが「日本道国体論」であり、国難時代の回天論、母国論、祖国論として「日本道国体論」を届けます。これを松明(たいまつ)として時代を照らしてくださいませ。

 「日本道国体論」を少し説明しておきます。最初の「日本論」では、日本国歌としての君が代、国旗としての日の丸、国紋としての菊花弁を問います。これらを排斥することなく日本の至宝と受け止めるよう促します。明治維新は世界史的に称賛されるべき回天運動でした。しかしその後変質させられ、国際ユダ邪と通じて好戦政策を敷き、君が代、日の丸をその道具として利用して参りました。しかしながら、それは悪用であり君が代、日の丸が悪いのではありません。本来の君が代は君民和楽の善政誓約歌であり、日の丸は純真無垢と赤心を象った唯一無二のシンプルイズベストな国旗であります。大和王朝以前の出雲王朝以来の国宝です。優れもの故に大和王朝も継承し時空を超えて日本に伝わっているものと心得る必要があります。

 「日本語論」では、日本語を世界言語の最優秀なものとして位置づけるよう指針させております。日本語の48音は自然界の作用を模写したものであり、いわば宇宙の音の写し鏡です。言語に於ける48音の獲得こそ人類の最高の発明です。これを日本の祖先が獲得した意義を称賛せねばなりません。人類史の将来は国際公用語として英語、日本語が並存して世界に普及して行くことになるでせう。なぜなら優れものだからです。昨今、そういう使命を持つ日本語を軽視し、それを放擲させ、いっそのことオール英語教育せんとする動きが強まりつつありますがナンセンスの極みと云わざるを得ません。

 「日本文明論」然りです。日本文明は自生土着的固有に生成発展し続けていると理解すべきです。これを逆に古代に於いてはインド、中国、朝鮮経由で、近代に於いては西欧諸国によって、戦後に於いては米英ユをお手本として小学生国日本を成人させんと文明開化させて来たとしてあれこれを例証し、何でもかんでも外国被れで理解し学問することを良しとしておりますが、これら一切に眉唾せねばなりません。日本文明は不思議なほどに太古から独自に優れた文明を築き続けており、その途上で外国ものを咀嚼し上手く取り入れてきたとする史観に立つべきです。

 「日本神道論」然りです。敢えて申せば、大和王朝後の日本神道を新神道、それ以前の神道を古神道と分けて理解する方が史実に合います。古神道と新神道が棲み分けして歴史を列ねていると理解すべきでせう。少し前、森元首相が「日本は神の国である」と述べたところバッシングされましたが、両者共に未熟です。森元首相が神道教理に通じておれば「日本は神々の国である」と申すべきところです。「神の国」であろうが「神々の国」であろうがバッシングする者が居たとしたら、日本を知らなさ過ぎる歴史音痴と云わざるを得ません。

 「日本国体論」然りです。天皇制論はこの日本国体論の一範疇のものです。真に大事なものは国体論であり、その国体論に適う天皇論である限りに於いて天皇制が護持されるべきです。天皇制は国体論に適う方向で営為されてきており、それ故に護持存続しているとする見立てが必要です。このように構える国体論、天皇制論を生み出さねばなりません。黒船来航以来、国際ユダ邪が日本天皇制に干渉し続け、西欧的な君主制と同視して懐柔を試み、キリスト教を国教化せんとし、下僕化しなかった大正天皇を押し込めるなどして参りましたが、このような蛮行を二度と許してはなりません。

 以上、簡略に述べました。今後暫くはこの「国際ユダ邪論」、「原日本論新日本論」、「日本道国体論」の三点セットで時代を照らしてください。能く切れ見えることを請け合います。我々は、先祖の法灯を受け継ぎ生き甲斐住み甲斐のある日本造りに向けて邁進せねばなりません。目下の日本政治がやっていることは逆ばかりです。この逆漕ぎ連中を一掃せねばなりません。近いうちに政治リアリズムが連中を容赦なく断罪すると思います。私たちは引き続き助け合いのご政道へ歩を進めませう。共同戦線万歳。
 

れんだいこのカンテラ時評№1279

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月28日(土)11時43分12秒
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   北の湖理事長急逝考

 ここで、北の湖理事長急逝考をものしておく。冒頭で、力士北の湖、親方北の湖、理事長北の湖の急逝に心から追悼、合掌。

 2015年11.20日午後6時55分、相撲取組のNHK中継が終わるのに合わせたかのような時刻、「昭和の大横綱」にして日本相撲協会現役理事長の北の湖(本名/小畑敏光)が福岡市内の済生会福岡総合病院で急死した(享年62歳)。理事長在職中の死去は1968年の時津風理事長(元横綱双葉山)の逝去以来である。理事長が本場所中に急逝するのは前例がない。この経緯を確認しておく。

 北の湖は初日から連日、福岡国際センターの役員室で報道陣との囲み取材に応じていた。そのやり取りを窺うのに協会トップとしての自負に満ちた発言が続いている。今から思うのに、特段のイザコザもなく北の湖体制の絶頂期を迎えていたのかも知れない。11.13日、九州場所6日目、早くも全勝は休場明けの横綱白鵬ただ1人、1敗で7人が追う展開となった。北の湖は今後の賜杯レースについて次のように言及した。「(白鵬の)逃げ切りでしょう。危ない相撲もないし、先場所、今までになかった休場を経験している。プライドがある。他の横綱もついて行けない。よほどのことがない限り連敗もしないでしょう。優勝確率80%」。

 11.17日、九州場所10日目、白鵬-栃煌山戦に白鵬が二度の猫だましを繰り出し得意の右四つに組み止めて寄り切った。その取り口に対して、「(猫だましを)やるってのは、なかなかありえない。やられる方もやられる方だけど、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの? 拍手がないじゃない。お客さんはどう見ているか分からないけれど。しかも横綱だから、負けていたら笑いものだった。白鵬はせっかく全勝で走っても、これではいい感じに見られない。みんな(モヤモヤした)気持ちが残っちゃうでしょ? 横綱はそういう風に見られちゃだめ」と苦言を呈した。これは、北の湖が現役時代、「1978年1月、大関三重ノ海の立ち合い時の奇手猫だましに動じず」そのまま押し切った経緯を踏まえての薀蓄であった。

 11.19日、白鳳が9年連続の年間最多勝を決めると、「立派だが他の横綱は何をしているのか」とコメントしている。北の湖は朝青龍然り、白鵬然りで、両者を名横綱と称えた上での愛情のこもった辛口批評を遺している。それにしても、「朝青龍-白鵬」戦をもう少し見たかったのは、れんだいこだけだろうか。朝青龍の相撲の切れ味は史上天下一品の国宝級のものだった。それを見れなくすることに精出した杉山アナ、中沢アナ、やく何とか、チンくしゃみの正義弁が許し難い。

 北の湖理事長は、急逝の1週間前から各部署へ事細かな指示を入念すぎるほどに出していた。第二次北の湖理事長時代、好取組が続出し相撲人気が盛り上がっていた。九州場所の18年ぶりの大入り2桁が確実で満員御礼の波を引き寄せていた。北の湖理事長は「来年も流れに乗りたい。何といっても魅力のある相撲。拍手の続く相撲。これでしょう」と力士の奮闘を称え、再び相撲ブームが訪れていた。

 その北の湖理事長が、19日夜、持病の貧血の症状を訴え、20日朝に救急車で福岡市内の済生会福岡総合病院に運ばれて入院した。点滴治療などで容態は安定した。昼過ぎ、日本相撲協会が、「血圧が低くて病院に行った。14日目以降の職務復帰については回復次第で判断する」と発表した。北の湖部屋関係者は、「意識はしっかりしている。昼過ぎまでは病室で今後の業務について思案していた」と証言している。かく容態が安定していたが夕方になって急変、急逝した。やましいことがなければ隠すこともなかろうに、この時の担当医師名が明らかにされていない。よって医師による経過説明が一切ない。司法解剖にも付されていない。既に記したがご丁寧なことに病院名までが伏せられている。これは相撲協会理事長職たる者に対する冒涜ではないのか。

 北の湖理事長が死去した病院には50人を超える報道陣が詰めかけた。その誰一人として病院ないしは担当医師の所見を聞き出す取材をしようとしていない。これも不自然過ぎる。午後8時半頃、出来山広報部長(元関脇出羽の花)が「理事長も無念だと思う」と話した。理事長代行を務める八角親方(元横綱北勝海)、審判部長の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は無言で病院を後にした。病院に駆けつけた山響親方(元幕内・巌雄)によれば、最期に言葉を発することもなく息を引き取ったと云う。千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)の目は真っ赤に腫れあがっていた。福岡市内にある北の湖部屋の宿舎前にも大勢の報道陣が詰めかけ、応対した序二段の北斗龍は言葉を詰まらせながら「頑張ったと思う。(これ以上は)察していただければ」と語った。

 11.20日夜、玉ノ井広報部副部長(元大関・栃東)が件の病院で報道陣に対応し、涙を浮かべて言葉を詰まらせながら次のように語っている。「死因は直腸がん。多臓器不全。容体が急変しました。きのう(19日)も元気に公務をこなしていた。いきなり、こういうことになって残念。何とも言えない」。しかしそれにしても玉ノ井広報部副部長ではなく何で医師が説明しないのだろう。広報部発表の死因説明では死因が定まっていないと受け取るべきだろう。

 大まかではあるが北の湖理事長の急逝経緯は以上である。れんだいこはこれを変死事件しておく。真性の容態急変による病死の場合もあろうし、点滴や注射等の医療ミスによる容態急変致死の場合もあろうし、治療に名を借りた毒殺事件の場合もあろう。今は判定不能故に変死事件としておく。こう態度しておくのが正解で、マスコミの病死報道は犯人側が裏から手を回した作為の虚偽報道と心得たい。

 北の湖理事長急逝に対し、「理事長は白鵬に殺されたようなものだ。『猫だまし』の参列はお断りします」なる弁がなされている。名横綱に間違いなく、その職責を十分に果たし続けている白鵬に対する濡れ衣冒涜であり許せない。大阪中1事件に於けるY容疑者仕立と同じ臭いのする犯人すり替えである。胸糞が悪くなるこういうへんてこりんな評論が意図的故意に流され過ぎている。
 

れんだいこのカンテラ時評№1278

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月27日(金)19時54分25秒
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   北の湖理事長の後継闘争その1

 11.22日、日本相撲協会は、北の湖理事長の死去に伴い、事業部長の八角親方(元横綱・北勝海、52歳)を理事長代行に据えた。12月18日の定例理事会で、新理事長を互選すること、新理事長の任期は北の湖理事長任期残りの来年3月までとすることを申し合わせた。具体的には来年1月の初場所後に理事が改選されて新体制が発足し、4月以降に就任する理事長が選ばれることになる。ここで、次期理事長及びその体制を予測しておく。「九重親方に貴乃花親方…北の湖理事長死去で協会の権力闘争が激化」等を参照する。

 北の湖理事長の急逝後の次期理事長を廻る暗闘を確認しておく。なぜ関心を持つのか。それは、大本教的教理「大本を廻り発生する型が、明日の日本の型になる」に似せて「出雲王朝の御代から連綿と続く国技たる大相撲の在り姿が、明日の日本の型になる」と思うからである。こういう捉え方をオカルト的とみなすのではなく、永遠にないのかも知れないけれども今の科学ではこれを説明し得る能力がないだけではないかと思っている。

 八角理事長代行は暫定であり、追って九重親方(第58代横綱千代の富士、60歳)と貴乃花親方(第65代横綱貴乃花、43歳)決戦が待ち受けている。年齢等の履歴による人選順当であれば、かって北の湖理事長の下で事業部長を務めた協会の元ナンバー2に位置していた九重親方が後釜に相応しい。ところが、北の湖理事長体制下に侵入した協会顧問派が貴乃花親方を担ごうとしている。

 この抗争の根は深い。分かり易く云えば、九重派は国粋国技派、顧問派は国際ユダ屋プロ相撲派である。日本大相撲が、九重派が大事にしようとする古式通りの型を維持しつつ発展を目指すのか、国際ユダ屋が狙う通りのプロレス並のプロ相撲興行を目指すのか、ここが問われている。マスコミは国際ユダ屋によって雇われているので、政治も然り、沖縄問題も然り、原発問題も然り、是非を全て逆に描く。即ち、件の協会顧問なぞ、日本大相撲協会を食物にする為にのみ送り込まれた国際ユダ屋の御用聞きであるのに、これを咎める筆には向かわず、その代わりに九重親方批判に健筆を振るう。当分、こういう浅ましい記事に苛(さいな)まされることになろう。これを今から予見しておく。

 協会顧問とは何者か、これを確認しておく。この御仁の本名は小林慶彦(2014年時点で58歳)。経営コンサルタントの肩書きを持つが経歴不詳である。経歴不詳の者が日本相撲協会の顧問になれるのがオカシイのだが現になっている。北の湖が理事長に返り咲いた時に顧問として相撲協会に入ったという。何やら裏取引があって送り込まれた人物であることが容易に推理できる。「台湾出身。立命館大卒、兵庫県警のマル暴だったらしい。2004中国巡業、2006台湾巡業、2008モンゴル巡業、2013インドネシア巡業の勧進元。株式会社エーティーアンドシージャパン社長」とある。

 2014.1月、この小林顧問が、2013年夏頃、相撲協会が大手パチンコメーカーと結んだライセンス契約に関連して、パチンコメーカーから2度にわたって計1700万円の裏金を受け取っている。その様子がネット動画サイトで暴露された。帯封つきの現金500万円を紙袋から取りだし、札束を数える顧問の顔、袋に戻す様子などが映っている。おまけに「絶対にこれ、バレんようにしてくれよ」と言っている。

 当時、相撲協会NO2にして事業部長を務めていた九重親方が、北の湖理事長に、「大変なことになっている」と進言。1.6日、理事会で、九重親方が、小林顧問の裏金授受疑惑を問題にして「外部で調査委員会をつくるべき」と発言し、責任追及音頭を取った。小林顧問は裏金受領を渋々認めものの、「お金を返したから問題ない」と居直った。調査委員会をつくることになったが、小林顧問派は委員会の開催時期を理事改選の後にするよう図った。これが癖だまであったが、その時は誰も気づかなかった。

 ところで、日本相撲協会内のこの大ニュースを大きく報じたメディアは日刊ゲンダイを含めてごくわずか。スポーツ紙は申し訳程度の記事しか掲載しなかった。マスコミは要するに国際ユダ屋の意向通りにしか書けない書かない。実のところ、そういう風には研究されていないが戦前も然りであった。戦後はなおさらで、勝ち馬にしか乗らない、長い物に巻かれろでしかない。

 1月30日、相撲協会は新公益財団法人へ移行。1.31日、理事選が行われた。この際、小林顧問派が九重親方落選を企画、「まさかの落選」を演出し、「11人中ただ1人落選」という不名誉な憂き目にあわせた。九重親方は理事から委員に降格となった。「顧問はお咎めなし、咎めた九重親方の方が逆に理事選落選」となった。

 次のように証言されている。「前回の理事選は友綱親方に票を集めて九重親方をはじき飛ばした。北の湖理事長の右腕といわれた協会顧問の策略であった。九重親方は今回の選挙で理事に再選されていたら、新公益法人に移行した最初の理事会には外部理事も出席して話し合いが行われる。ここで小林顧問の悪事を暴露して解任の緊急動議を出す腹づもりだった。その計画がパーになった。九重親方は理事落選により2年間、冷や飯を食わされることになった。九重さんが手にしたのは5票。あと2票取っていれば友綱親方に理事職を持って行かれることはなかった。実は北の湖理事長をドンとする出羽一門筋が水面下で『票を回してやる』と口約束していて、九重親方はその言葉を信じて買収工作せず落選につながった。要するに一杯食わされたんですよ」。

 陰謀通りに事が運び、協会の危機管理委員会(委員長/宗像紀夫・元東京地検特捜部長、外部理事)が開かれたものの、「すぐに返却したので問題なしのお咎めなし」結論を下し、理事会に報告、承認された。「宗像紀夫」と云えばロッキード事件で公判担当検事を務めており、それ以来、検察裏街道一直線に出世街道を歩み詰めている面汚しでしかない。こんな御仁が人選されているだけで碌なことにならないのは自明であろう。

 この逆裁定により小林顧問は引き続き北の湖体制に食い込み協会内で権力を持ち続けることになった。協会を所管する内閣府が、相撲協会に理事会の議事録と危機管理委の報告書の提出を要請したものの、真相はどうやら「現金授受を問題なし」と結論づけた報告書の提出を協会に求めた」のであって、真相解明に愛の鞭を振るった訳ではない。公益法人の認定の可否などを審査する公益認定委員会に協会提出資料を添えて経緯を報告、協会の一連の対応に問題がなかったかの判断を形式的に求めただけのようで何事もなく経過している。もっとも取上げただけで偉いと云うべきかもしれない。

 小林顧問の利権活動は他にもある。理事会の承認を得ないままの独断専行で、相撲協会が別のメーカーと過去現在すべての力士の肖像権を1億円でライセンス契約させており、これも発覚している。他にも、国技館の改修工事やパソコンの入れ替え、エアコンの施設工事などに関わっている。

 2014年、3.24日、横綱審議委員会(内山委員長)が開催され、大相撲春場所を14勝1敗で優勝した鶴竜の横綱昇進を満場一致で推薦答申した。同時に北の湖理事長の理事長再選を決め北の湖理事長体制が信任された。

 8.30日、朝日新聞に「相撲協会顧問の小林の現金授受問題、内閣府が対応を検証へ」という記事が掲載された。何でこの時期の記事なのかは分からない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1277

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年10月12日(月)15時39分3秒
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   相模原市議選の南区選挙区に於ける選管の開票不正考

 2015.4.12日の神奈川県相模原市議選の南区選挙区(定数18、候補者29)の投票用紙を点検したところ、選管のデタラメ振りが発覚した。これを確認しておく。(分り易くする為に氏名の敬称を省く)

 同選挙で、最下位当選者小林3304票、次点の大槻3303.339票、次々点みぞふち3303票と云う1票差に3人が絡む事態が発生した。次点の大槻が、開票事務に従事したという人物から「大槻に有効と思われる票が無効票とされたり、同姓の候補者と按分されたりした」との通報があったとして、4.27日、小林の当選無効、自らを当選人とする決定を求めた異議申し出書を提出した。ちなみに、みぞふちは異議申し立てをしていない。

  5.20日、市選管が検票(開披再点検)に着手した。選管職員ら二十数人が市役所職員会館体育館で作業を進め、大槻と小林の関係者がそれぞれ3人ずつ立ち会った。大槻和宏、もう一人の大槻姓の大槻研の有効票、按分票、無効票の計7888票を調べ直した結果、大槻和宏3296票、大槻研2093票、「大槻、おおつき、オオツキ」と書かれた按分票12票、他事記載などの無効票2487票が確認された。

 無効票の束の中から、「大つきか〇ひ」と書かれた票が新たに見つかり有効と判断した結果、大槻3304.340票となり、小林3304票を上回った。5.25日、市選管が大槻の逆転当選を決定した。大槻は「私の申し出を全面的に認めたもので安堵している」とコメント。小林は「到底納得できるものではない。県選管に申し立てをする方向で弁護士らと相談して対応する」とコメント。

 なお、この際、新たに白票8票が見つかっている。これにつき、投票者数より開票した票が6票多かった為、南区選管の事務局長(60歳)と同次長(56歳)、同副主幹(53歳)の3人が謀議し、投票者総数に合わせるため白票の束の表書きを91票から83票に書き換えて8票少なくしたうえ、2票は投票せずに持ち帰った票として扱うと云う不適切集計をしていたことが判明した。わざわざに手が込んだことをしていることが分かる。市選管は当落問題に影響はないとしているが、公職選挙法違反容疑(投票増減の疑い)での刑事告発や再発防止に向けた第三者委員会設置を検討している。

 6月、今度は、幻の当選者となった小林が市選管の決定を不服として審査を申し立てた。「おかしなことを選管がやっている」という通報を受け、勇気をもって異議申し立てをしたと云う。「票は何者かが開票作業終了後に無効票の束に潜り込ませたものではないのか。次点候補が、有効票が無効扱いされたとの匿名の情報を受けて異議を申し立て、有効票が見つかったとする経緯はストーリーができ過ぎている」と理由づけしている。

 7.14日、県選管が同市南区選挙区の全投票10万2306票の点検に着手した。8.7日、県選管は、小林による市選管決定を不服とした審査申し立てに対し、「認めることができない」として棄却した。

 それにしても「他事記載などの無効票2487票」の異常な多さが気になる。「他事記載」の詳細な内訳を明らかにさせる必要があるように思われる。この選挙では、小林、大槻、みぞふちの三者が1票差に絡んでいる。これを思えば、みぞふちの票も合わせて発表すべきだろう。

 市選管、県選管とも、せっかく検票したのに検票後の全数値を発表すれば良いところスルーしている。これは、発表とこたびの検票間に小林票、大槻票に限らず票数に誤差があったことを窺わせる。検票する場合には全投票数の精密な数値、各候補者の票数を発表させるべきだろう。

 判明することは以上の通りであるが要点はこうである。選管が選管であり得たのは昔の話しで今や選管の逆選管が常態であり、「不正投開票は氷山の一角」ではないのか。「自民党当選議員(衛藤晟一)の高松市得票数0の怪考」が最も有名であるが、これまで、異議申し立てされた選挙区の検票によりほぼ100%の確率で開票不正が確認されている。にも拘わらず、ムサシマシーン開票後の検票を不要と居直り続けさせるべきだろうか。

イロハのイである投票者数と開票数の不整合も問題である。投票者数に比して開票数が多ければ特定候補に水増し票が考えられる。開票数が少なければ特定候補の抜き取り票が考えられる。このところの選挙における小沢系候補はこういう被害にあっているのではないのか。小沢系の未来、生活第一、生活の党の候補者、落選者が異議申し立てしないのが解せないのではあるが。こういうところを解決して次の選挙に臨まない限りいつも糠釘選挙になるであろう。
 

れんだいこのカンテラ時評№1276

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月26日(土)17時51分34秒
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   中1少年少女殺人事件考その2

 大阪中1少年少女殺人事件に関連させて「儀式殺人告発の書」を確認しておく。以下詳解する「儀式殺人告発の書3枚目」を読めば、本事件に於けるY容疑者の犯人化構図が余りにも似ていることに気づくだろう。読み易くする為に段落、句読点、文字変換等の編集替え、直接関係しない箇所の削除、意味を変えない条件下での書き換えをした。容疑者「久間三千年」のところを「Y」と書き換えた。その方が類似性が際立つからである。

 大阪中1少年少女殺人事件と同じ構図、文言は次の通りである。「繁華街で目撃された」、「初めに犯人Yありき」、「警察、地元、マスコミ一体となっての波状攻撃」、「冷静に考えればYの一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白」、「2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置した」、「遺棄現場での紺色ワンボックス車を見たとの目撃情報」、「毛髪と現場に残されていた体液がDNA鑑定の結果、ほぼ一致」、「ワンボックス車内を再度鑑定」、「ごく微細な血痕と女児の一人の血液型も一致」、「情報リークの可能性」、「警察は、偏見と思い込み、こじつけの状況証拠だけで犯人に仕立て上げた」。

 昭和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいた一人の少女が行方不明になった。潤野小学校1年の松野愛子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回収を手伝った後、団地内の公園で友達と遊び、同10時頃、一人の男の自宅で弟と遊んでいるのを近所の人に目撃されているのを最後に女児は失踪した。この男こそYであった。Yがこの女児失踪に関与した証拠はない。だが周囲の印象はYが極めて怪しいという雰囲気に包まれた。今度この男の周辺で児童が失踪すれば重要参考人にされるのは明らかであった。

 平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野鳥の国道322号道路わきの林で、20日朝から行方不明になっていた潤野小学校1年の中川藍、梅野裕莉の二人の女児が死体となって発見された。二人は20日朝、別の友人と三人で登校したが、登校途中でこの友人と別れ、飯塚市内の繁華街で目撃されたとの情報を最後に消息を断っていた。この時点で、犯人Yが9割方確定された。“初めに犯人Yありき”であった。捜査の初期段階からYを犯人と臭わす警察、地元、マスコミ一体となっての波状攻撃が繰り返し行なわれた。冷静に考えればYの一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白であった。まずYが知性ある性倒錯者として、かって嫌疑をかけられたのと同じ自宅の近所に住む潤野小の児童を何故わざわざ欲望充足の対象に選んだのか。しかも2人も、という素朴な疑問が生じてくる。我々が「変態Y」の立場なら“自宅周辺での対象物色”という危険な行為は間違っても犯さなかったであろう。以前に嫌疑がかかっていたのだから尚更である。最も不可解なのが、2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置したことであった。

 これより以後の 「Y攻略作戦」 は以下のように行なわれた。3月に警察が得たといわれる「遺棄現場での紺色ワンボックス車を見たとの目撃情報」により、同種の車を所持していたYに捜査の対象はほぼ100%絞られ、この男と女児とを結びつける証拠の発見に全力が注がれた。3月下旬、Yに任意で提出させた「毛髪と現場に残されていたといわれる体液」とが警察庁で行なわれたDNA鑑定の結果「ほぼ一致」し、この時点でYがほぼ犯人と断定された。だが検察に証拠能力を問われ第三者の大学研究室で再鑑定したところ一致の確率は非常に低下した。捜査は中断したかにみえたが、平成5年12月になって、前年9月にYが手放した例のワンボックス車内を再度鑑定、翌年2月、1年5か月という歳月を怪て、女児の衣服に付着していたという4種類の繊維と車のシートの繊維とが一致、さらにシートの裏に付着していたといわれる「ごく微細な血痕」と女児の一人の血液型も一致した。8月、検察との協議の結果、Yの死体遺棄容疑が固まり、9月29日、同容疑で遂に逮捕された。最初の事件発生から実に5年9か月後、悪魔のシナリオは完遂されたのである。

 Yと警察の5年9か月に渡る闘争は警察によるYへの一方的な精神的拷問という形で行なわれた。2女児殺害以後はYの実名と顔写真を所持しての自宅近辺での聞き込み、張り込みが連日続けられた。平成5年9月には、警察の嫌がらせに対して堪忍袋の緒が切れたYが張り込みの捜査員に刈りバサミで切りつけるという一幕もあった。状況証拠らしい状況証拠と言えば「Yも持ってた紺色ワンボックス車が遺棄現場で目撃された」という情報のみであった。だがこれはYに嫌疑が向けられるように作られた「情報リークの可能性」があったし、それが事実であるとしても、Yのものと同一の車種を使い、たまたま誰かに目撃されたか、あるいはわざと目撃された真犯人のものであろうことは容易に推測できるものであった。この目撃以外はすべてこじつけられた証拠である。DNA鑑定などほとんど信用性がないことが証明されたにもかかわらず、警察は「ほぼ一致」にあくまでこだわった。そもそも「現場で発見された体液」はDNA鑑定できるほどの量があったのか。警察は、Yを“怪しい”、“やったに違いない”という偏見と思い込み、こじつけの状況証拠だけで犯人に仕立て上げたのである。
 

れんだいこのカンテラ時評№1275

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月20日(日)21時36分24秒
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   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その4

 2015.9月中旬、運命の導きによって知覧特攻会館を詣でることになった。そこで散華した兵士一人ずつの顔写真と遺書の手紙に目を通して来た。兵士一人一人に目礼するつもりだったが、最初のところから滂沱の涙となり適わなかった。三角兵舎では兵士が寝起きしていたであろう姿が伝わり、ここで別れの杯を交わしたのかと思うと又涙した。富屋旅館も確認し、鳥浜トメさんの写真も見、当時とその後の姿を確認した。

 台湾の鄭春河(皇民名/上杉重雄)氏の著「嗚呼大東亜戦争」を入手したことが予想外の収穫だった。読了してみて、れんだいこ史観と通じない面も多々あるが、戦前日本総括として異色貴重な論考となっている。れんだいこ史観に照らし戴けるところを整理し発表しておこうと思った。誰か一人でも目からウロコしてくれますように。

 編集責任者の飛永源之助さんの「台湾の鄭春河先生について」(1998年5月27日)の項末尾で次のように記している。「今次大東亜戦争において何百万の方々の尊い犠牲による今日の繁栄であります」。この観点を共有できない者はこの後を読んでもカエルのツラにションベンになろうから読む必要なきことをあらかじめ申し上げておく。

 鄭氏は、大東亜戦争論について次のように主張している。但し、米英国としているところを国際ユダ屋と書き換えることにする。概要「日清、日露から大東亜戦争に至るまでの戦争は日本の国防の安定を図る為の自衛戦争であり、十把ひとからげに侵略戦争として片付けられるものではない。当時においては海外発展であり雄飛であり日本の壮挙であった。満州事変、これに続く支那事変が泥沼化したのは、黒幕の国際ユダ屋が画策したからであった。連中が蒋介石軍に物資を送り込み続けた。日本が戦っている相手は蒋介石軍であったが実質的には日米戦争になっていた。国際ユダ屋シナリオの下で日本と蒋介石軍が踊らされていた。

 第二次世界大戦前夜、ヒットラー率いるドイツが電撃的に勝利し続け、『バスに乗り遅れるな』とばかりに日独が接近した。国際ユダ屋はABCD包囲網で日本の息の根を止める戦略に出た。日本に対する石油の全面禁輸は戦争誘発政策以外の何ものでもなかった。日本は勝ち目はないと承知していたが無為に屈服もできないジレンマに陥った。そこへ日本に過酷なハルノートが突きつけられ、『座して死を待つよりは死中に活を求める』最後の方策として戦争に打って出ることになった。この当時、誰が首相でも既に戦争を回避することはできなかった。東条大将が十字架を背負う悲劇の首相となった。結果的に敗戦で終戦したが、その評価は『歴史は百年経なければ正鵠を期し難い』」。

 鄭氏は、戦前日本が果たしたアジアの目覚めの役割について次のように主張している。「英帝国が終焉したのは英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである。これにより白人優位神話が崩れ植民地の独立戦争が始まった」。

 鄭氏は、東京裁判について次のように主張している。「国際ユダ屋は敗戦国日本に対し侵略謝罪を求めるが連中こそが本当の侵略者である。歪められた罪悪感を背負わされ、卑屈、頽廃に流れて行くことこそ国際ユダ屋の思う壺である。間違った歴史観を払拭し歴史を書き改めねばならない。東京裁判は、日本の戦争指導者を戦犯に仕立て上げ極刑に処したが、実定国際法上違法な裁判であり不当なものである。本来は再審が必要である。そもそも『戦犯』なる用語自体が臭い。日本の戦争指導者は『敗戦犯』ではあっても『戦犯』ではない。処刑されたA級戦犯は法務死であり靖国神社に英霊として祀られるべきである」。

 鄭氏は、戦後日本について次のように主張している。「戦後日本は、GHQの対日支配政策に基づき大改造された。あらゆる分野で日本の弱体化が企図されている。戦後憲法の相続の項での長子相続から均等相続への転換は日本式家族制度の解体であり、日本的共同体としての紐帯の基盤の破壊である。世論を工作し、祖国日本嫌悪、戦前日本の全てを悪視、日本古来の伝統文化や歴史排撃、国民道徳退廃、日本人の日本人たる所以の『大和心』喪失方向にリードした。『戦前日本の侵略行為に対する謝罪』を踏み絵とさせ、その象徴としての国旗、国歌を憎ませている。これにより日の丸を掲揚せず君が代を歌わないことになった」云々。
 

れんだいこのカンテラ時評№1274

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月 4日(金)20時09分51秒
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   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その3

 井上和彦著「撃墜王は生きている」の執筆趣意に関連して書評その3を発表しておく。れんだいこは既に2003年時点でサイト「日本軍の戦闘行為、戦闘能力考」を設け次のように発信している。「皇軍の戦闘行為、能力」を賞賛的に見直そうという意味では通じていよう。但し、れんだいこはそれを「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場として評価し直そう」としている。こうなると井上氏の観点とは大きく異なるであろう。

 私的にはこの観点からもう少し掘り下げて行きたい。しかしこれに好評価なり支持を得る為には少なくとも「原日本新日本論」、「日本的大君(おおきみ)制天皇制論」、「出雲王朝&邪馬台国論」、「国際ユダ屋論」を媒介せねばならない。そのどれもがこれまでに説かれていない理論であるので賛同を得るのは難しかろう。これにより私は左派を自負していながら左派圏に拠るべき場所を持っていない。右派圏にも持っていない。

 何も奇(き)を衒(てら)って新説を述べている訳ではない。20代頃よりの疑問を一歩一歩氷解させながら辿り着いたら、このような見解に至ったと云うに過ぎない。但し、物事を分析なり解釈するのに、この理論を包丁にすれば能く切れる。偶然にもインターネットが登場したので、このツールを利用して調法なこの理論を公開し大方の批評を仰いでいる訳である。諸氏のそれより能く切れるのに無視されているだけに過ぎない。前置きが長くなった。かの時、次のように述べている。

 れんだいこは、本稿で、今まで誰もしてこなかったであろう観点から「日本軍の戦闘能力考」をものしてみようと思う。どこが異色かというと、戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた「日本軍の戦闘能力」を見直し、その優秀性を露見させ、更にこれを、「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」として評価し直そう、という点にある。この観点は、私が知らないだけで既にどなたかが為されているのかも知れない。しかし、私が知らないということは、大衆的に認知されていないことを意味する。つまり、私の仕事として突きつけられていることになる。

 冒頭で、「戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた」と書き記した。実にそうだ。戦後左派運動は、戦前の軍部独裁体制を批判するばかりで、その下士官たる軍隊に対しても同様のまなざしを向け、その残虐行為を検証せぬままプロパガンダの方に意味を見出してきた。しかしそれは歴史眼としては愚昧な片手落ち手法でしかなかろう。そういう暗愚な者に啓蒙され指導された左派運動は、その暗愚ゆえに実践的に役立たない、大衆の心を捉えない。いつの頃からか分からないがそういうことに気づいた。

 私は、大東亜戦争に散った兵士を加害者としてのみ位置づけず、その殉死を「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」という観点から意義づけ直してみたい。彼らの哀しみを理解し、その遺志を継承したい。この観点こそが歴史の連続性というものではなかろうか。「歴史の連続性が失われると正気が失われる」と云われる。そう、我々は、「正気を喪失した左派運動」に参集したゆえに、挙句の果てに不毛な荒野に捨てられたのではなかったか。しかるに、現下の流れは、未だにこの洗脳が解けていないばかりかむしろ更に袋小路にのめりつつあるやにさえ思われる。

 れんだいこは袋小路に追い詰められ自死しつつある左派運動の変態性を露見させて見たい。自負的に述べれば、私がこの逆立ちを質したい。戦没遺族が納得し得るような評価を与え無駄な軋轢を排したい。むしろ、その遺志を継いでいる日本新左派運動の思いを画然とさせることで手向けしたい。課題に正面から挑めば、こういう観点こそが自然に導き出される。

 そうならなかったのは半身構えの自称インテリたちの指導の悪さゆえであろう。連中は究極能力が狭いのかも知れない。もっとはっきり云えば「ウソ理論」を見抜けずの厚顔提灯士に過ぎない。そういう者たちばかりが跋扈してきたせいで本来の運動が紡ぎだされていないのではなかろうか。
 

れんだいこのカンテラ時評№1273

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 8月29日(土)20時29分2秒
返信・引用
   中1少年少女殺人事件考

 中木田(なかきだ)中1少年少女殺人事件(以下、単に「中1少年少女殺人事件」と記す)を廻る世上の見解が余りにも酷く、それを補強する学者肩書きの薀蓄がこれ又酷過ぎるので、これを成敗しておく。

 「リテラ」の2015.8.25日付けブログ「寝屋川中1殺害事件で「週刊現代」がやらかした! 容疑者逮捕に間に合わず星野くんの女性関係が原因とのデマ報道」(以下、「リテラ記事(伊勢崎馨)」と命名する)を参照する。但し、その論調には違和感を覚えるので同調しない。本稿執筆のきっかけになったと云う意味に於いて評価しておく。

 「中1少年少女殺人事件」を廻る週刊主要4誌と云われる文春、新潮、現代、ポスト(小学館)の記事を比較してみる。新潮(9.3日号)は「寝屋川中1遺棄事件の全真相」、帯文「真人間を演じていたホオジロザメ」。文春(9.3日号)は「大阪寝屋川中1男女惨殺 鬼畜山田浩二の正体」。ポスト(9.3日号)は無記事。現代(9.5日号)は「新聞・テレビが報じなかった大阪・寝屋川『中1惨殺』全真相」、帯文「少女が抱えていた家族問題 大阪府警がマークした人物」。

 週刊ポストの無記事は、夏休み合併号の関係で前週の21日に発売されたため事件に触れることができなかったと云う。本当のポスト事情を知りたいところである。文春、新潮は共に山田容疑者を犯人と認定した上で凶悪変態者とみなしての悪口雑言の競い合いをしている。

 この点で、「リテラ記事(伊勢崎馨)」によれば、現代(9.5日号)号は「女児殺し男児犯人説」を打ち出し、併せて両家庭の親が関与しているとする倒錯的な大胆且つ的外れ憶測記事を書いてしまっていると云う。これは記事校了日が8.21日午後、発売日8.24日の制約による。即ち、この時点では山田容疑者が逮捕されておらず、男児の遺体も発見されていない。これにより「女児殺し男児犯人説」と云う大チョンボをしていると云う。

 ところが、れんだいこが件の現代記事を読むとそういう風には書かれていない。せいぜい真犯人は誰だろう的な記事でしかない。途中で記事が差し替えられているのかとも思うほどである。

 それはともかく、山田容疑者が登場するまでの段階において、マスコミ界の中で「リテラ記事(伊勢崎馨)」の指摘する如くな「女児殺し男児犯人説」が推理されていたのは確かなようで、「男児が女児を殺害して逃走、男児の親がそれをかばって遺体を隠蔽。真相は同じ中学生のグループによるリンチ殺人」云々なる論調の書き込みが存在するようである。

 言論は自由であるから、そういう推理も許容されるのだろう。但し、この種の憶測記事には当らずとも遠からず的なものであることが要件とされるだろう。憶測記事の一部には真実があるのかとも思うが、その後に男児遺体が発見されたことにより、主張しているところの「女児殺し男児犯人説」は完全に破綻している。

 とならば、大外れ責任が問われるべきではなかろうか。この場合、その出版社、編集長、担当デスク、記事執筆者、ネット発言者はヨタ記事責任を問われるべきだろう。現状は、良い意味での内部規律的なケジメのないままに次々とヨタ記事が許されているところが病気であろう。

 ところで、「リテラ記事(伊勢崎馨)」は、「女児殺し男児犯人説」を大チョンボと批判しているが「山田容疑者真犯人単独犯」を疑っていないように見受けられる。れんだいこから見ればそれも誤りで第二チョンボに過ぎない。となると、第二チョンボが第一チョンボを貶しているに過ぎないことになる。但し、第一チョンボの方が重度過失であるから、批判の根拠はあると看做されるべきだろう。

 ならば、れんだいこは事件をどう読んでいるのか。これから披瀝する観点も又チョンボなのだろうか、それとも正解だろうか。れんだいこ見解は次の通りである。1・本事件の真相はメーソン系結社による典型的な儀式殺人である。2・これの決め手は男児、女児の遺体の正確な所見である。これの発表がない間中は捜査が操作されている。3・山田容疑者は、事件にどう絡むのか、その経緯とか事情までは分からないが遺体の運び屋もしくはダミー的なオトリ役に過ぎない。この見立てをする者はごく少ない。しかし今後は、本稿をきっかけにして、この種の事件に遭遇するたびにピンと感ずくことになるだろう。

 それで事件が解決する訳ではない。この種の事件は意図的故意に迷宮入りさせられることを常習とする。構図は「島根県立女子大生猟奇殺人事件」その他と同じである。解決しないのは、敗戦国日本を植民地支配している宗主国側の息のかかった犯罪だからである。こうなると、日本警察の捜査は深層の真相に近づくまいとして、あらぬ捜査にばかり傾注努力し始めるのがお笑いである。
 

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