teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


れんだいこのカンテラ時評№1279

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月28日(土)11時43分12秒
返信・引用
   北の湖理事長急逝考

 ここで、北の湖理事長急逝考をものしておく。冒頭で、力士北の湖、親方北の湖、理事長北の湖の急逝に心から追悼、合掌。

 2015年11.20日午後6時55分、相撲取組のNHK中継が終わるのに合わせたかのような時刻、「昭和の大横綱」にして日本相撲協会現役理事長の北の湖(本名/小畑敏光)が福岡市内の済生会福岡総合病院で急死した(享年62歳)。理事長在職中の死去は1968年の時津風理事長(元横綱双葉山)の逝去以来である。理事長が本場所中に急逝するのは前例がない。この経緯を確認しておく。

 北の湖は初日から連日、福岡国際センターの役員室で報道陣との囲み取材に応じていた。そのやり取りを窺うのに協会トップとしての自負に満ちた発言が続いている。今から思うのに、特段のイザコザもなく北の湖体制の絶頂期を迎えていたのかも知れない。11.13日、九州場所6日目、早くも全勝は休場明けの横綱白鵬ただ1人、1敗で7人が追う展開となった。北の湖は今後の賜杯レースについて次のように言及した。「(白鵬の)逃げ切りでしょう。危ない相撲もないし、先場所、今までになかった休場を経験している。プライドがある。他の横綱もついて行けない。よほどのことがない限り連敗もしないでしょう。優勝確率80%」。

 11.17日、九州場所10日目、白鵬-栃煌山戦に白鵬が二度の猫だましを繰り出し得意の右四つに組み止めて寄り切った。その取り口に対して、「(猫だましを)やるってのは、なかなかありえない。やられる方もやられる方だけど、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの? 拍手がないじゃない。お客さんはどう見ているか分からないけれど。しかも横綱だから、負けていたら笑いものだった。白鵬はせっかく全勝で走っても、これではいい感じに見られない。みんな(モヤモヤした)気持ちが残っちゃうでしょ? 横綱はそういう風に見られちゃだめ」と苦言を呈した。これは、北の湖が現役時代、「1978年1月、大関三重ノ海の立ち合い時の奇手猫だましに動じず」そのまま押し切った経緯を踏まえての薀蓄であった。

 11.19日、白鳳が9年連続の年間最多勝を決めると、「立派だが他の横綱は何をしているのか」とコメントしている。北の湖は朝青龍然り、白鵬然りで、両者を名横綱と称えた上での愛情のこもった辛口批評を遺している。それにしても、「朝青龍-白鵬」戦をもう少し見たかったのは、れんだいこだけだろうか。朝青龍の相撲の切れ味は史上天下一品の国宝級のものだった。それを見れなくすることに精出した杉山アナ、中沢アナ、やく何とか、チンくしゃみの正義弁が許し難い。

 北の湖理事長は、急逝の1週間前から各部署へ事細かな指示を入念すぎるほどに出していた。第二次北の湖理事長時代、好取組が続出し相撲人気が盛り上がっていた。九州場所の18年ぶりの大入り2桁が確実で満員御礼の波を引き寄せていた。北の湖理事長は「来年も流れに乗りたい。何といっても魅力のある相撲。拍手の続く相撲。これでしょう」と力士の奮闘を称え、再び相撲ブームが訪れていた。

 その北の湖理事長が、19日夜、持病の貧血の症状を訴え、20日朝に救急車で福岡市内の済生会福岡総合病院に運ばれて入院した。点滴治療などで容態は安定した。昼過ぎ、日本相撲協会が、「血圧が低くて病院に行った。14日目以降の職務復帰については回復次第で判断する」と発表した。北の湖部屋関係者は、「意識はしっかりしている。昼過ぎまでは病室で今後の業務について思案していた」と証言している。かく容態が安定していたが夕方になって急変、急逝した。やましいことがなければ隠すこともなかろうに、この時の担当医師名が明らかにされていない。よって医師による経過説明が一切ない。司法解剖にも付されていない。既に記したがご丁寧なことに病院名までが伏せられている。これは相撲協会理事長職たる者に対する冒涜ではないのか。

 北の湖理事長が死去した病院には50人を超える報道陣が詰めかけた。その誰一人として病院ないしは担当医師の所見を聞き出す取材をしようとしていない。これも不自然過ぎる。午後8時半頃、出来山広報部長(元関脇出羽の花)が「理事長も無念だと思う」と話した。理事長代行を務める八角親方(元横綱北勝海)、審判部長の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は無言で病院を後にした。病院に駆けつけた山響親方(元幕内・巌雄)によれば、最期に言葉を発することもなく息を引き取ったと云う。千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)の目は真っ赤に腫れあがっていた。福岡市内にある北の湖部屋の宿舎前にも大勢の報道陣が詰めかけ、応対した序二段の北斗龍は言葉を詰まらせながら「頑張ったと思う。(これ以上は)察していただければ」と語った。

 11.20日夜、玉ノ井広報部副部長(元大関・栃東)が件の病院で報道陣に対応し、涙を浮かべて言葉を詰まらせながら次のように語っている。「死因は直腸がん。多臓器不全。容体が急変しました。きのう(19日)も元気に公務をこなしていた。いきなり、こういうことになって残念。何とも言えない」。しかしそれにしても玉ノ井広報部副部長ではなく何で医師が説明しないのだろう。広報部発表の死因説明では死因が定まっていないと受け取るべきだろう。

 大まかではあるが北の湖理事長の急逝経緯は以上である。れんだいこはこれを変死事件しておく。真性の容態急変による病死の場合もあろうし、点滴や注射等の医療ミスによる容態急変致死の場合もあろうし、治療に名を借りた毒殺事件の場合もあろう。今は判定不能故に変死事件としておく。こう態度しておくのが正解で、マスコミの病死報道は犯人側が裏から手を回した作為の虚偽報道と心得たい。

 北の湖理事長急逝に対し、「理事長は白鵬に殺されたようなものだ。『猫だまし』の参列はお断りします」なる弁がなされている。名横綱に間違いなく、その職責を十分に果たし続けている白鵬に対する濡れ衣冒涜であり許せない。大阪中1事件に於けるY容疑者仕立と同じ臭いのする犯人すり替えである。胸糞が悪くなるこういうへんてこりんな評論が意図的故意に流され過ぎている。
 
 

れんだいこのカンテラ時評№1278

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月27日(金)19時54分25秒
返信・引用
   北の湖理事長の後継闘争その1

 11.22日、日本相撲協会は、北の湖理事長の死去に伴い、事業部長の八角親方(元横綱・北勝海、52歳)を理事長代行に据えた。12月18日の定例理事会で、新理事長を互選すること、新理事長の任期は北の湖理事長任期残りの来年3月までとすることを申し合わせた。具体的には来年1月の初場所後に理事が改選されて新体制が発足し、4月以降に就任する理事長が選ばれることになる。ここで、次期理事長及びその体制を予測しておく。「九重親方に貴乃花親方…北の湖理事長死去で協会の権力闘争が激化」等を参照する。

 北の湖理事長の急逝後の次期理事長を廻る暗闘を確認しておく。なぜ関心を持つのか。それは、大本教的教理「大本を廻り発生する型が、明日の日本の型になる」に似せて「出雲王朝の御代から連綿と続く国技たる大相撲の在り姿が、明日の日本の型になる」と思うからである。こういう捉え方をオカルト的とみなすのではなく、永遠にないのかも知れないけれども今の科学ではこれを説明し得る能力がないだけではないかと思っている。

 八角理事長代行は暫定であり、追って九重親方(第58代横綱千代の富士、60歳)と貴乃花親方(第65代横綱貴乃花、43歳)決戦が待ち受けている。年齢等の履歴による人選順当であれば、かって北の湖理事長の下で事業部長を務めた協会の元ナンバー2に位置していた九重親方が後釜に相応しい。ところが、北の湖理事長体制下に侵入した協会顧問派が貴乃花親方を担ごうとしている。

 この抗争の根は深い。分かり易く云えば、九重派は国粋国技派、顧問派は国際ユダ屋プロ相撲派である。日本大相撲が、九重派が大事にしようとする古式通りの型を維持しつつ発展を目指すのか、国際ユダ屋が狙う通りのプロレス並のプロ相撲興行を目指すのか、ここが問われている。マスコミは国際ユダ屋によって雇われているので、政治も然り、沖縄問題も然り、原発問題も然り、是非を全て逆に描く。即ち、件の協会顧問なぞ、日本大相撲協会を食物にする為にのみ送り込まれた国際ユダ屋の御用聞きであるのに、これを咎める筆には向かわず、その代わりに九重親方批判に健筆を振るう。当分、こういう浅ましい記事に苛(さいな)まされることになろう。これを今から予見しておく。

 協会顧問とは何者か、これを確認しておく。この御仁の本名は小林慶彦(2014年時点で58歳)。経営コンサルタントの肩書きを持つが経歴不詳である。経歴不詳の者が日本相撲協会の顧問になれるのがオカシイのだが現になっている。北の湖が理事長に返り咲いた時に顧問として相撲協会に入ったという。何やら裏取引があって送り込まれた人物であることが容易に推理できる。「台湾出身。立命館大卒、兵庫県警のマル暴だったらしい。2004中国巡業、2006台湾巡業、2008モンゴル巡業、2013インドネシア巡業の勧進元。株式会社エーティーアンドシージャパン社長」とある。

 2014.1月、この小林顧問が、2013年夏頃、相撲協会が大手パチンコメーカーと結んだライセンス契約に関連して、パチンコメーカーから2度にわたって計1700万円の裏金を受け取っている。その様子がネット動画サイトで暴露された。帯封つきの現金500万円を紙袋から取りだし、札束を数える顧問の顔、袋に戻す様子などが映っている。おまけに「絶対にこれ、バレんようにしてくれよ」と言っている。

 当時、相撲協会NO2にして事業部長を務めていた九重親方が、北の湖理事長に、「大変なことになっている」と進言。1.6日、理事会で、九重親方が、小林顧問の裏金授受疑惑を問題にして「外部で調査委員会をつくるべき」と発言し、責任追及音頭を取った。小林顧問は裏金受領を渋々認めものの、「お金を返したから問題ない」と居直った。調査委員会をつくることになったが、小林顧問派は委員会の開催時期を理事改選の後にするよう図った。これが癖だまであったが、その時は誰も気づかなかった。

 ところで、日本相撲協会内のこの大ニュースを大きく報じたメディアは日刊ゲンダイを含めてごくわずか。スポーツ紙は申し訳程度の記事しか掲載しなかった。マスコミは要するに国際ユダ屋の意向通りにしか書けない書かない。実のところ、そういう風には研究されていないが戦前も然りであった。戦後はなおさらで、勝ち馬にしか乗らない、長い物に巻かれろでしかない。

 1月30日、相撲協会は新公益財団法人へ移行。1.31日、理事選が行われた。この際、小林顧問派が九重親方落選を企画、「まさかの落選」を演出し、「11人中ただ1人落選」という不名誉な憂き目にあわせた。九重親方は理事から委員に降格となった。「顧問はお咎めなし、咎めた九重親方の方が逆に理事選落選」となった。

 次のように証言されている。「前回の理事選は友綱親方に票を集めて九重親方をはじき飛ばした。北の湖理事長の右腕といわれた協会顧問の策略であった。九重親方は今回の選挙で理事に再選されていたら、新公益法人に移行した最初の理事会には外部理事も出席して話し合いが行われる。ここで小林顧問の悪事を暴露して解任の緊急動議を出す腹づもりだった。その計画がパーになった。九重親方は理事落選により2年間、冷や飯を食わされることになった。九重さんが手にしたのは5票。あと2票取っていれば友綱親方に理事職を持って行かれることはなかった。実は北の湖理事長をドンとする出羽一門筋が水面下で『票を回してやる』と口約束していて、九重親方はその言葉を信じて買収工作せず落選につながった。要するに一杯食わされたんですよ」。

 陰謀通りに事が運び、協会の危機管理委員会(委員長/宗像紀夫・元東京地検特捜部長、外部理事)が開かれたものの、「すぐに返却したので問題なしのお咎めなし」結論を下し、理事会に報告、承認された。「宗像紀夫」と云えばロッキード事件で公判担当検事を務めており、それ以来、検察裏街道一直線に出世街道を歩み詰めている面汚しでしかない。こんな御仁が人選されているだけで碌なことにならないのは自明であろう。

 この逆裁定により小林顧問は引き続き北の湖体制に食い込み協会内で権力を持ち続けることになった。協会を所管する内閣府が、相撲協会に理事会の議事録と危機管理委の報告書の提出を要請したものの、真相はどうやら「現金授受を問題なし」と結論づけた報告書の提出を協会に求めた」のであって、真相解明に愛の鞭を振るった訳ではない。公益法人の認定の可否などを審査する公益認定委員会に協会提出資料を添えて経緯を報告、協会の一連の対応に問題がなかったかの判断を形式的に求めただけのようで何事もなく経過している。もっとも取上げただけで偉いと云うべきかもしれない。

 小林顧問の利権活動は他にもある。理事会の承認を得ないままの独断専行で、相撲協会が別のメーカーと過去現在すべての力士の肖像権を1億円でライセンス契約させており、これも発覚している。他にも、国技館の改修工事やパソコンの入れ替え、エアコンの施設工事などに関わっている。

 2014年、3.24日、横綱審議委員会(内山委員長)が開催され、大相撲春場所を14勝1敗で優勝した鶴竜の横綱昇進を満場一致で推薦答申した。同時に北の湖理事長の理事長再選を決め北の湖理事長体制が信任された。

 8.30日、朝日新聞に「相撲協会顧問の小林の現金授受問題、内閣府が対応を検証へ」という記事が掲載された。何でこの時期の記事なのかは分からない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1277

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年10月12日(月)15時39分3秒
返信・引用
   相模原市議選の南区選挙区に於ける選管の開票不正考

 2015.4.12日の神奈川県相模原市議選の南区選挙区(定数18、候補者29)の投票用紙を点検したところ、選管のデタラメ振りが発覚した。これを確認しておく。(分り易くする為に氏名の敬称を省く)

 同選挙で、最下位当選者小林3304票、次点の大槻3303.339票、次々点みぞふち3303票と云う1票差に3人が絡む事態が発生した。次点の大槻が、開票事務に従事したという人物から「大槻に有効と思われる票が無効票とされたり、同姓の候補者と按分されたりした」との通報があったとして、4.27日、小林の当選無効、自らを当選人とする決定を求めた異議申し出書を提出した。ちなみに、みぞふちは異議申し立てをしていない。

  5.20日、市選管が検票(開披再点検)に着手した。選管職員ら二十数人が市役所職員会館体育館で作業を進め、大槻と小林の関係者がそれぞれ3人ずつ立ち会った。大槻和宏、もう一人の大槻姓の大槻研の有効票、按分票、無効票の計7888票を調べ直した結果、大槻和宏3296票、大槻研2093票、「大槻、おおつき、オオツキ」と書かれた按分票12票、他事記載などの無効票2487票が確認された。

 無効票の束の中から、「大つきか〇ひ」と書かれた票が新たに見つかり有効と判断した結果、大槻3304.340票となり、小林3304票を上回った。5.25日、市選管が大槻の逆転当選を決定した。大槻は「私の申し出を全面的に認めたもので安堵している」とコメント。小林は「到底納得できるものではない。県選管に申し立てをする方向で弁護士らと相談して対応する」とコメント。

 なお、この際、新たに白票8票が見つかっている。これにつき、投票者数より開票した票が6票多かった為、南区選管の事務局長(60歳)と同次長(56歳)、同副主幹(53歳)の3人が謀議し、投票者総数に合わせるため白票の束の表書きを91票から83票に書き換えて8票少なくしたうえ、2票は投票せずに持ち帰った票として扱うと云う不適切集計をしていたことが判明した。わざわざに手が込んだことをしていることが分かる。市選管は当落問題に影響はないとしているが、公職選挙法違反容疑(投票増減の疑い)での刑事告発や再発防止に向けた第三者委員会設置を検討している。

 6月、今度は、幻の当選者となった小林が市選管の決定を不服として審査を申し立てた。「おかしなことを選管がやっている」という通報を受け、勇気をもって異議申し立てをしたと云う。「票は何者かが開票作業終了後に無効票の束に潜り込ませたものではないのか。次点候補が、有効票が無効扱いされたとの匿名の情報を受けて異議を申し立て、有効票が見つかったとする経緯はストーリーができ過ぎている」と理由づけしている。

 7.14日、県選管が同市南区選挙区の全投票10万2306票の点検に着手した。8.7日、県選管は、小林による市選管決定を不服とした審査申し立てに対し、「認めることができない」として棄却した。

 それにしても「他事記載などの無効票2487票」の異常な多さが気になる。「他事記載」の詳細な内訳を明らかにさせる必要があるように思われる。この選挙では、小林、大槻、みぞふちの三者が1票差に絡んでいる。これを思えば、みぞふちの票も合わせて発表すべきだろう。

 市選管、県選管とも、せっかく検票したのに検票後の全数値を発表すれば良いところスルーしている。これは、発表とこたびの検票間に小林票、大槻票に限らず票数に誤差があったことを窺わせる。検票する場合には全投票数の精密な数値、各候補者の票数を発表させるべきだろう。

 判明することは以上の通りであるが要点はこうである。選管が選管であり得たのは昔の話しで今や選管の逆選管が常態であり、「不正投開票は氷山の一角」ではないのか。「自民党当選議員(衛藤晟一)の高松市得票数0の怪考」が最も有名であるが、これまで、異議申し立てされた選挙区の検票によりほぼ100%の確率で開票不正が確認されている。にも拘わらず、ムサシマシーン開票後の検票を不要と居直り続けさせるべきだろうか。

イロハのイである投票者数と開票数の不整合も問題である。投票者数に比して開票数が多ければ特定候補に水増し票が考えられる。開票数が少なければ特定候補の抜き取り票が考えられる。このところの選挙における小沢系候補はこういう被害にあっているのではないのか。小沢系の未来、生活第一、生活の党の候補者、落選者が異議申し立てしないのが解せないのではあるが。こういうところを解決して次の選挙に臨まない限りいつも糠釘選挙になるであろう。
 

れんだいこのカンテラ時評№1276

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月26日(土)17時51分34秒
返信・引用
   中1少年少女殺人事件考その2

 大阪中1少年少女殺人事件に関連させて「儀式殺人告発の書」を確認しておく。以下詳解する「儀式殺人告発の書3枚目」を読めば、本事件に於けるY容疑者の犯人化構図が余りにも似ていることに気づくだろう。読み易くする為に段落、句読点、文字変換等の編集替え、直接関係しない箇所の削除、意味を変えない条件下での書き換えをした。容疑者「久間三千年」のところを「Y」と書き換えた。その方が類似性が際立つからである。

 大阪中1少年少女殺人事件と同じ構図、文言は次の通りである。「繁華街で目撃された」、「初めに犯人Yありき」、「警察、地元、マスコミ一体となっての波状攻撃」、「冷静に考えればYの一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白」、「2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置した」、「遺棄現場での紺色ワンボックス車を見たとの目撃情報」、「毛髪と現場に残されていた体液がDNA鑑定の結果、ほぼ一致」、「ワンボックス車内を再度鑑定」、「ごく微細な血痕と女児の一人の血液型も一致」、「情報リークの可能性」、「警察は、偏見と思い込み、こじつけの状況証拠だけで犯人に仕立て上げた」。

 昭和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいた一人の少女が行方不明になった。潤野小学校1年の松野愛子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回収を手伝った後、団地内の公園で友達と遊び、同10時頃、一人の男の自宅で弟と遊んでいるのを近所の人に目撃されているのを最後に女児は失踪した。この男こそYであった。Yがこの女児失踪に関与した証拠はない。だが周囲の印象はYが極めて怪しいという雰囲気に包まれた。今度この男の周辺で児童が失踪すれば重要参考人にされるのは明らかであった。

 平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野鳥の国道322号道路わきの林で、20日朝から行方不明になっていた潤野小学校1年の中川藍、梅野裕莉の二人の女児が死体となって発見された。二人は20日朝、別の友人と三人で登校したが、登校途中でこの友人と別れ、飯塚市内の繁華街で目撃されたとの情報を最後に消息を断っていた。この時点で、犯人Yが9割方確定された。“初めに犯人Yありき”であった。捜査の初期段階からYを犯人と臭わす警察、地元、マスコミ一体となっての波状攻撃が繰り返し行なわれた。冷静に考えればYの一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白であった。まずYが知性ある性倒錯者として、かって嫌疑をかけられたのと同じ自宅の近所に住む潤野小の児童を何故わざわざ欲望充足の対象に選んだのか。しかも2人も、という素朴な疑問が生じてくる。我々が「変態Y」の立場なら“自宅周辺での対象物色”という危険な行為は間違っても犯さなかったであろう。以前に嫌疑がかかっていたのだから尚更である。最も不可解なのが、2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置したことであった。

 これより以後の 「Y攻略作戦」 は以下のように行なわれた。3月に警察が得たといわれる「遺棄現場での紺色ワンボックス車を見たとの目撃情報」により、同種の車を所持していたYに捜査の対象はほぼ100%絞られ、この男と女児とを結びつける証拠の発見に全力が注がれた。3月下旬、Yに任意で提出させた「毛髪と現場に残されていたといわれる体液」とが警察庁で行なわれたDNA鑑定の結果「ほぼ一致」し、この時点でYがほぼ犯人と断定された。だが検察に証拠能力を問われ第三者の大学研究室で再鑑定したところ一致の確率は非常に低下した。捜査は中断したかにみえたが、平成5年12月になって、前年9月にYが手放した例のワンボックス車内を再度鑑定、翌年2月、1年5か月という歳月を怪て、女児の衣服に付着していたという4種類の繊維と車のシートの繊維とが一致、さらにシートの裏に付着していたといわれる「ごく微細な血痕」と女児の一人の血液型も一致した。8月、検察との協議の結果、Yの死体遺棄容疑が固まり、9月29日、同容疑で遂に逮捕された。最初の事件発生から実に5年9か月後、悪魔のシナリオは完遂されたのである。

 Yと警察の5年9か月に渡る闘争は警察によるYへの一方的な精神的拷問という形で行なわれた。2女児殺害以後はYの実名と顔写真を所持しての自宅近辺での聞き込み、張り込みが連日続けられた。平成5年9月には、警察の嫌がらせに対して堪忍袋の緒が切れたYが張り込みの捜査員に刈りバサミで切りつけるという一幕もあった。状況証拠らしい状況証拠と言えば「Yも持ってた紺色ワンボックス車が遺棄現場で目撃された」という情報のみであった。だがこれはYに嫌疑が向けられるように作られた「情報リークの可能性」があったし、それが事実であるとしても、Yのものと同一の車種を使い、たまたま誰かに目撃されたか、あるいはわざと目撃された真犯人のものであろうことは容易に推測できるものであった。この目撃以外はすべてこじつけられた証拠である。DNA鑑定などほとんど信用性がないことが証明されたにもかかわらず、警察は「ほぼ一致」にあくまでこだわった。そもそも「現場で発見された体液」はDNA鑑定できるほどの量があったのか。警察は、Yを“怪しい”、“やったに違いない”という偏見と思い込み、こじつけの状況証拠だけで犯人に仕立て上げたのである。
 

れんだいこのカンテラ時評№1275

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月20日(日)21時36分24秒
返信・引用
   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その4

 2015.9月中旬、運命の導きによって知覧特攻会館を詣でることになった。そこで散華した兵士一人ずつの顔写真と遺書の手紙に目を通して来た。兵士一人一人に目礼するつもりだったが、最初のところから滂沱の涙となり適わなかった。三角兵舎では兵士が寝起きしていたであろう姿が伝わり、ここで別れの杯を交わしたのかと思うと又涙した。富屋旅館も確認し、鳥浜トメさんの写真も見、当時とその後の姿を確認した。

 台湾の鄭春河(皇民名/上杉重雄)氏の著「嗚呼大東亜戦争」を入手したことが予想外の収穫だった。読了してみて、れんだいこ史観と通じない面も多々あるが、戦前日本総括として異色貴重な論考となっている。れんだいこ史観に照らし戴けるところを整理し発表しておこうと思った。誰か一人でも目からウロコしてくれますように。

 編集責任者の飛永源之助さんの「台湾の鄭春河先生について」(1998年5月27日)の項末尾で次のように記している。「今次大東亜戦争において何百万の方々の尊い犠牲による今日の繁栄であります」。この観点を共有できない者はこの後を読んでもカエルのツラにションベンになろうから読む必要なきことをあらかじめ申し上げておく。

 鄭氏は、大東亜戦争論について次のように主張している。但し、米英国としているところを国際ユダ屋と書き換えることにする。概要「日清、日露から大東亜戦争に至るまでの戦争は日本の国防の安定を図る為の自衛戦争であり、十把ひとからげに侵略戦争として片付けられるものではない。当時においては海外発展であり雄飛であり日本の壮挙であった。満州事変、これに続く支那事変が泥沼化したのは、黒幕の国際ユダ屋が画策したからであった。連中が蒋介石軍に物資を送り込み続けた。日本が戦っている相手は蒋介石軍であったが実質的には日米戦争になっていた。国際ユダ屋シナリオの下で日本と蒋介石軍が踊らされていた。

 第二次世界大戦前夜、ヒットラー率いるドイツが電撃的に勝利し続け、『バスに乗り遅れるな』とばかりに日独が接近した。国際ユダ屋はABCD包囲網で日本の息の根を止める戦略に出た。日本に対する石油の全面禁輸は戦争誘発政策以外の何ものでもなかった。日本は勝ち目はないと承知していたが無為に屈服もできないジレンマに陥った。そこへ日本に過酷なハルノートが突きつけられ、『座して死を待つよりは死中に活を求める』最後の方策として戦争に打って出ることになった。この当時、誰が首相でも既に戦争を回避することはできなかった。東条大将が十字架を背負う悲劇の首相となった。結果的に敗戦で終戦したが、その評価は『歴史は百年経なければ正鵠を期し難い』」。

 鄭氏は、戦前日本が果たしたアジアの目覚めの役割について次のように主張している。「英帝国が終焉したのは英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである。これにより白人優位神話が崩れ植民地の独立戦争が始まった」。

 鄭氏は、東京裁判について次のように主張している。「国際ユダ屋は敗戦国日本に対し侵略謝罪を求めるが連中こそが本当の侵略者である。歪められた罪悪感を背負わされ、卑屈、頽廃に流れて行くことこそ国際ユダ屋の思う壺である。間違った歴史観を払拭し歴史を書き改めねばならない。東京裁判は、日本の戦争指導者を戦犯に仕立て上げ極刑に処したが、実定国際法上違法な裁判であり不当なものである。本来は再審が必要である。そもそも『戦犯』なる用語自体が臭い。日本の戦争指導者は『敗戦犯』ではあっても『戦犯』ではない。処刑されたA級戦犯は法務死であり靖国神社に英霊として祀られるべきである」。

 鄭氏は、戦後日本について次のように主張している。「戦後日本は、GHQの対日支配政策に基づき大改造された。あらゆる分野で日本の弱体化が企図されている。戦後憲法の相続の項での長子相続から均等相続への転換は日本式家族制度の解体であり、日本的共同体としての紐帯の基盤の破壊である。世論を工作し、祖国日本嫌悪、戦前日本の全てを悪視、日本古来の伝統文化や歴史排撃、国民道徳退廃、日本人の日本人たる所以の『大和心』喪失方向にリードした。『戦前日本の侵略行為に対する謝罪』を踏み絵とさせ、その象徴としての国旗、国歌を憎ませている。これにより日の丸を掲揚せず君が代を歌わないことになった」云々。
 

れんだいこのカンテラ時評№1274

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 9月 4日(金)20時09分51秒
返信・引用
   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その3

 井上和彦著「撃墜王は生きている」の執筆趣意に関連して書評その3を発表しておく。れんだいこは既に2003年時点でサイト「日本軍の戦闘行為、戦闘能力考」を設け次のように発信している。「皇軍の戦闘行為、能力」を賞賛的に見直そうという意味では通じていよう。但し、れんだいこはそれを「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場として評価し直そう」としている。こうなると井上氏の観点とは大きく異なるであろう。

 私的にはこの観点からもう少し掘り下げて行きたい。しかしこれに好評価なり支持を得る為には少なくとも「原日本新日本論」、「日本的大君(おおきみ)制天皇制論」、「出雲王朝&邪馬台国論」、「国際ユダ屋論」を媒介せねばならない。そのどれもがこれまでに説かれていない理論であるので賛同を得るのは難しかろう。これにより私は左派を自負していながら左派圏に拠るべき場所を持っていない。右派圏にも持っていない。

 何も奇(き)を衒(てら)って新説を述べている訳ではない。20代頃よりの疑問を一歩一歩氷解させながら辿り着いたら、このような見解に至ったと云うに過ぎない。但し、物事を分析なり解釈するのに、この理論を包丁にすれば能く切れる。偶然にもインターネットが登場したので、このツールを利用して調法なこの理論を公開し大方の批評を仰いでいる訳である。諸氏のそれより能く切れるのに無視されているだけに過ぎない。前置きが長くなった。かの時、次のように述べている。

 れんだいこは、本稿で、今まで誰もしてこなかったであろう観点から「日本軍の戦闘能力考」をものしてみようと思う。どこが異色かというと、戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた「日本軍の戦闘能力」を見直し、その優秀性を露見させ、更にこれを、「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」として評価し直そう、という点にある。この観点は、私が知らないだけで既にどなたかが為されているのかも知れない。しかし、私が知らないということは、大衆的に認知されていないことを意味する。つまり、私の仕事として突きつけられていることになる。

 冒頭で、「戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた」と書き記した。実にそうだ。戦後左派運動は、戦前の軍部独裁体制を批判するばかりで、その下士官たる軍隊に対しても同様のまなざしを向け、その残虐行為を検証せぬままプロパガンダの方に意味を見出してきた。しかしそれは歴史眼としては愚昧な片手落ち手法でしかなかろう。そういう暗愚な者に啓蒙され指導された左派運動は、その暗愚ゆえに実践的に役立たない、大衆の心を捉えない。いつの頃からか分からないがそういうことに気づいた。

 私は、大東亜戦争に散った兵士を加害者としてのみ位置づけず、その殉死を「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」という観点から意義づけ直してみたい。彼らの哀しみを理解し、その遺志を継承したい。この観点こそが歴史の連続性というものではなかろうか。「歴史の連続性が失われると正気が失われる」と云われる。そう、我々は、「正気を喪失した左派運動」に参集したゆえに、挙句の果てに不毛な荒野に捨てられたのではなかったか。しかるに、現下の流れは、未だにこの洗脳が解けていないばかりかむしろ更に袋小路にのめりつつあるやにさえ思われる。

 れんだいこは袋小路に追い詰められ自死しつつある左派運動の変態性を露見させて見たい。自負的に述べれば、私がこの逆立ちを質したい。戦没遺族が納得し得るような評価を与え無駄な軋轢を排したい。むしろ、その遺志を継いでいる日本新左派運動の思いを画然とさせることで手向けしたい。課題に正面から挑めば、こういう観点こそが自然に導き出される。

 そうならなかったのは半身構えの自称インテリたちの指導の悪さゆえであろう。連中は究極能力が狭いのかも知れない。もっとはっきり云えば「ウソ理論」を見抜けずの厚顔提灯士に過ぎない。そういう者たちばかりが跋扈してきたせいで本来の運動が紡ぎだされていないのではなかろうか。
 

れんだいこのカンテラ時評№1273

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 8月29日(土)20時29分2秒
返信・引用
   中1少年少女殺人事件考

 中木田(なかきだ)中1少年少女殺人事件(以下、単に「中1少年少女殺人事件」と記す)を廻る世上の見解が余りにも酷く、それを補強する学者肩書きの薀蓄がこれ又酷過ぎるので、これを成敗しておく。

 「リテラ」の2015.8.25日付けブログ「寝屋川中1殺害事件で「週刊現代」がやらかした! 容疑者逮捕に間に合わず星野くんの女性関係が原因とのデマ報道」(以下、「リテラ記事(伊勢崎馨)」と命名する)を参照する。但し、その論調には違和感を覚えるので同調しない。本稿執筆のきっかけになったと云う意味に於いて評価しておく。

 「中1少年少女殺人事件」を廻る週刊主要4誌と云われる文春、新潮、現代、ポスト(小学館)の記事を比較してみる。新潮(9.3日号)は「寝屋川中1遺棄事件の全真相」、帯文「真人間を演じていたホオジロザメ」。文春(9.3日号)は「大阪寝屋川中1男女惨殺 鬼畜山田浩二の正体」。ポスト(9.3日号)は無記事。現代(9.5日号)は「新聞・テレビが報じなかった大阪・寝屋川『中1惨殺』全真相」、帯文「少女が抱えていた家族問題 大阪府警がマークした人物」。

 週刊ポストの無記事は、夏休み合併号の関係で前週の21日に発売されたため事件に触れることができなかったと云う。本当のポスト事情を知りたいところである。文春、新潮は共に山田容疑者を犯人と認定した上で凶悪変態者とみなしての悪口雑言の競い合いをしている。

 この点で、「リテラ記事(伊勢崎馨)」によれば、現代(9.5日号)号は「女児殺し男児犯人説」を打ち出し、併せて両家庭の親が関与しているとする倒錯的な大胆且つ的外れ憶測記事を書いてしまっていると云う。これは記事校了日が8.21日午後、発売日8.24日の制約による。即ち、この時点では山田容疑者が逮捕されておらず、男児の遺体も発見されていない。これにより「女児殺し男児犯人説」と云う大チョンボをしていると云う。

 ところが、れんだいこが件の現代記事を読むとそういう風には書かれていない。せいぜい真犯人は誰だろう的な記事でしかない。途中で記事が差し替えられているのかとも思うほどである。

 それはともかく、山田容疑者が登場するまでの段階において、マスコミ界の中で「リテラ記事(伊勢崎馨)」の指摘する如くな「女児殺し男児犯人説」が推理されていたのは確かなようで、「男児が女児を殺害して逃走、男児の親がそれをかばって遺体を隠蔽。真相は同じ中学生のグループによるリンチ殺人」云々なる論調の書き込みが存在するようである。

 言論は自由であるから、そういう推理も許容されるのだろう。但し、この種の憶測記事には当らずとも遠からず的なものであることが要件とされるだろう。憶測記事の一部には真実があるのかとも思うが、その後に男児遺体が発見されたことにより、主張しているところの「女児殺し男児犯人説」は完全に破綻している。

 とならば、大外れ責任が問われるべきではなかろうか。この場合、その出版社、編集長、担当デスク、記事執筆者、ネット発言者はヨタ記事責任を問われるべきだろう。現状は、良い意味での内部規律的なケジメのないままに次々とヨタ記事が許されているところが病気であろう。

 ところで、「リテラ記事(伊勢崎馨)」は、「女児殺し男児犯人説」を大チョンボと批判しているが「山田容疑者真犯人単独犯」を疑っていないように見受けられる。れんだいこから見ればそれも誤りで第二チョンボに過ぎない。となると、第二チョンボが第一チョンボを貶しているに過ぎないことになる。但し、第一チョンボの方が重度過失であるから、批判の根拠はあると看做されるべきだろう。

 ならば、れんだいこは事件をどう読んでいるのか。これから披瀝する観点も又チョンボなのだろうか、それとも正解だろうか。れんだいこ見解は次の通りである。1・本事件の真相はメーソン系結社による典型的な儀式殺人である。2・これの決め手は男児、女児の遺体の正確な所見である。これの発表がない間中は捜査が操作されている。3・山田容疑者は、事件にどう絡むのか、その経緯とか事情までは分からないが遺体の運び屋もしくはダミー的なオトリ役に過ぎない。この見立てをする者はごく少ない。しかし今後は、本稿をきっかけにして、この種の事件に遭遇するたびにピンと感ずくことになるだろう。

 それで事件が解決する訳ではない。この種の事件は意図的故意に迷宮入りさせられることを常習とする。構図は「島根県立女子大生猟奇殺人事件」その他と同じである。解決しないのは、敗戦国日本を植民地支配している宗主国側の息のかかった犯罪だからである。こうなると、日本警察の捜査は深層の真相に近づくまいとして、あらぬ捜査にばかり傾注努力し始めるのがお笑いである。
 

れんだいこのカンテラ時評№1272

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 8月11日(火)22時25分36秒
返信・引用
   1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件考その2

 2010.8.21日付けブログ れんだいこのカンテラ時評782の「れんだいこの1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件考」に続いてその2を発表しておく。門外漢なのではあるが、私の誕生日の事件と云うことで奇しきな縁を感じてウォッチを続けている訳である。今年、何か言わせるものがある。

 一般に、事件は日々発生しているが、ディリーニュースとして消化的に処理されて構わないものと歴史の最奥部に関わっており根底の真相を解明せねばならないものの二種ある。当然、その中間のようなものもあるので三種とみなすこともできる。「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」は、このうちの「歴史の最奥部に関わっており根底の真相を解明せねばならないもの」に属する。この事件の待遇の仕方として、まずこの観点を確立せねばならない。そういう訳で、「根底の真相を解明」に向かう。

 「その1」の構図を継承し、その後明らかになったことを補足したいが、この方面はできていないので他日に譲る。本稿では、この事件の核心的なキモの部分を再確認し共認を深めたいと思う。もう一つの中曽根犯罪を裏付けることに力点を置く。やること為すことが骨の髄までユダ屋被れであり、よくもバチが当らず90歳まで生きておることよと感心させられている。

 マスコミの長年の名宰相論、大勲位論だのは当分の間、お笑いの種になるであろう。要するに中曽根は国際ユダ屋御用聞き一等賞の首相であり政界君臨者である。その対極が田中角栄であり、角栄の運命は衆知の通りである。よりによって二人が同年生まれの同期代議士にして首相経験者であるとは。歴史は時にこういう奇しき味なことをする。

 さて、第一に記しておくべきことは、JAL123便(以下、単に123便と記す)の操縦者についてである。海上自衛隊出身の高濱雅己機長、他に佐々木祐副操縦士、福田博航空機関士の3名が操縦していた。この3名は日航の誇る名パイロットであり鉢合わせすること自体が異例であった。事前に何事かが起ることが予見されており、その対策としてクルーにされていたようである。であるとすれば何が待ち構えていたのかが詮索されねばならない。

 6時12分、123便が524人の乗客乗員を乗せ羽田を離陸した。これより「32分間の戦い」が始まる。18分、クルーが右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来るのを視認している。23分、一度外したシートベルトの再着用をアナウンスしている。24分35秒、123便が伊豆大島の北の相模湾上で、「ドドーンドンドン」と云う衝撃音が発生し垂直尾翼に何ものかが衝突した。同37秒、客室高度警報音(または離陸警報音)が鳴っている。同40秒、関東南A空域のレーダー画面に「エマージェンシー・コール」(EMG、緊急事態)の赤い文字が点滅しピーピーと金属音を帯びた警報が鳴り異変を知らせた。同42秒、機長が、東京ACC(東京航空交通管制部)にEMGの国際緊急無線信号「スコーク77」を発信している。

 以降、123便と管制室の命がけのやりとりが始まっている。機長は、「スコーク77」を発信した後、「羽田への帰還」を求めている。28分30秒、「現在アンコントロール(操縦不能)」と発信している。管制官は名古屋に着陸できるかと聞いている。機長は羽田着陸を主張している。この間、横田基地へ着陸誘導されている。31分02秒、機長は羽田に戻りたいと強く主張している。同08秒、焼津市上空を通過したあたりから次第にダッチロールし始めている。

 なぜだか羽田空港に引き返すことができない状態になっており、右に大きく旋回し北方向へ飛行を続けていった。この後、異変が発生しているが略す。40分頃、管制室が横田基地への緊急着陸を指示している。この後、「謎の7分間の空白」となっているとされ明らかでない。傍受によると、横田基地が合計13回にわたって「スタンバイできている」ことを繰り返し呼びかけている。123便はなぜかこれに応答していない。

 47分、123便は墜落地点である御巣鷹山に向かって降下して行く。この時、自衛隊機が123便の前方に出て進路誘導している気配があるが、強引に左旋回飛行指示を出して抵抗している。47分頃、既に墜落を覚悟し、最適の着陸地を求めて操縦している。48分40秒、機長「山いくぞ」、副操縦士「はい」。凡その着陸地の方位方角が決まったようである。50分09秒、機長「どーんと行こうや」。同27秒、機長「がんばれ」。副操縦士「はい」。この後のやりとり略。56分26秒、猛烈な衝撃音。

 ここまでのピット内のクル―、パーサー、スチュワーデス乗務員一丸の奮闘は涙なしには語れない。この経緯で何を窺うべきか。機長が横田基地への着陸を頑なに拒否し、羽田に戻る旨を告げ、それが拒否され、(多くの解説が、ここの下りを逆に評している。本稿以降は通用しなくなるであろう) 123便は、与えられた情況と条件下での最適の操縦により「御巣鷹の尾根」に胴体着陸した。即ち多くの人が生き残られるよう海ではなく、なぜだか基地でもなく、山を目指し、「御巣鷹の尾根」を見つけ、墜落と云うよりも着陸した。

 「れんだいこの事件考」はここまでが前半で、ここからが後半となる。後半については来年度の命日に記そうと思う。関心は、機長を始めとするコックピットの名操縦で相当数の者が生き残っていたのに、女性ばかり4名のみが生還した不可解さを問うことにある。午後7時だと、それほど暗くはなかろうに、長時間にわたって墜落現場が不明だとされ、向かった者は誤誘導され、あるいは正しく向かう自衛隊員が始末されたとも云う。これに関心の湧く者は各自で調べるが良かろう。
 

れんだいこのカンテラ時評№1271

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 8月 9日(日)13時10分7秒
返信・引用
   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その2

 井上和彦著「撃墜王は生きている」は概要次のように記している。当時の大本営参謀が、戦況宜しからずの形勢下、本土防衛決戦にシフト替えし、陸海軍の精鋭パイロットを寄せて守備に当らせた。その精鋭たちが、陸軍と海軍のメンツを争うようにして勇猛果敢に大空を馳せ、手前たちも撃墜されるがその何倍もの敵機を撃ち落して順次最後を遂げていった。こうして戦歴輝かしい撃墜王たちが何人も姿を消している。

 戦争末期、B29が何度も何波にもわたって来襲するようになったが決して手をこまねいていた訳ではない。仮に地上からの反撃が鉄砲届きしなかったとしても、空中では陸海軍の精鋭が懸命に敵機撃墜に精出しており、甚大なる被害を与え「一定の抑止」効果を挙げていた。

 戦闘機パイロットは十二分に敢闘した。特攻隊も然りであった。運よく残り得た者も居り、その彼らは終戦の日まで意気盛んであった。ここからがれんだいこ説になるが、これらのことが総じて「その後の歴史抑止力」として働いたのではないのか。 考えてみればそれは何もパイロット、特攻たちだけではない。戦史の至る所に日本兵士の敢闘が刻まれており、それらは日本占領支配の困難さを予見させるに足りるものであった。広島、長崎への原子爆弾投下により一気に降伏に向かったとはいえ、一筋縄ではいかない陸軍、海軍の主力が健在して隠然とした威力を保持していた。シベリア抑留などは、この観点からの陸軍帰国阻止の為の遠投であった。

 この辺りの機微について著者は次のように述べている。

 「圧倒的な物量の差で、多勢に無勢の戦いを強いられ、消耗し、最後は数でねじ伏せられたが、どれほど不利な状況下にあっても、日本の航空部隊は、米軍に確かな傷跡を残し続けたのである。戦後、アメリカが日本の重工業を解体し、終戦から昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効されるまでの7年間、航空機の製造を禁止し続けたのは、それほど日本の航空技術とパイロットを恐れたことの証左である」。

 この下りの「アメリカ」のところを「国際ユダ屋」と読み直し、「それほど日本の航空技術とパイロットを恐れた」のところでは「その他の分野でも然り。日本の技術と頭脳を恐れた」と補足すれば、なお能く見えてくるであろう。

 この「その後の歴史抑止力」が働き、GHQの対日支配をして間接統治の策をとらしめることになった。その間接統治の有効策として、当初の天皇制解体指針を転換させ昭和天皇利用に向かわしめた気配が濃厚である。この辺りの考察は別の機会にしようと思うが、この見地からの考察は大いに意味があるのではなかろうか。この見地からの戦史論がなさ過ぎるのが不満である。

 もとへ。その生き残り撃墜王たちは、戦後になるや、その働きが報われず、むしろ逆に戦後反戦平和運動の波に洗われるや「狂気攻撃者」にされてしまった。この風潮下、長い沈黙を余儀なくされて来た。その彼らに漸く良き聞き手が現れ、それにより重い口を開くことになった。ここで初めて鬱屈していた心情を解放し戦史証言している。生き延びた撃墜王の幾人のうち何人かが戦後の航空自衛隊に入り、その基礎を作ることに貢献しているとも云う。その5名が何をどう語っているのかは各自が本書で確かめれば良かろう。

 問題は次のことにある。井上、百田の両氏が、大東亜戦争時の航空兵士の活躍ぶりを語ることは大いに良いとして、そのことと目下の自衛隊への無条件エールは直列しないのに無理やりに直列させてすまし顔しているとしたら、そこが怪しい、燻る。目下の自衛隊は創設の由来からも判明しようが自立自存の国防軍ではない。敗戦後遺症なのだろうが、表見的には米軍の、実態的には国際ユダ屋の傭兵として育成されている。そういう自衛隊の戦地への海外派兵が政治日程化しつつある。それが如何に危険な人身御供でしかないのかは子供でも分かる話しである。

 にも拘らず、百田の場合は特に大東亜戦争時の日本兵の活躍ぶりを語りつつ、自衛隊が国際ユダ屋の傭兵として使い捨てされようとしていることに後押しエールしているように見える。ちょっと待て。如何に戦争に負けたとて、今度は当時の敵国の配下軍として御用せしめられるのは話しの筋が違う。それは余りにもお粗末過ぎる、許し難い、英霊の御霊に対する侮辱ではないのか。地下の英霊たちは俺たちの死をそういう風に利用してくれるなと憤怒しているのではないのか。

 思うに、当時の兵士の敢闘ぶりへの称賛は、一方では戦後の反戦運動に生かされるべきであった。これを逆に云えば戦後の反戦運動はそういうものとして構築されるべきだった。史実は逆で彼らは放逐された。もう一方では自立自存の国防軍の再建に向かうべきであった。この道が良い方向かどうか、許されたかどうかは分からない。少なくとも戦後憲法は承知のように反戦不戦平和の道を大胆に指針させている。これにより日本が道を誤ったと云う話しを今日まで聞いていない。

 この両方向なら分かるが、今現在進行中のような当時の敵国の配下軍として、実質は国際ユダ屋の傭兵として使われることこそ愛国の道などと云うのはペテン師の口上でしかない。本書は、この点で、同じようなテーマを扱いながら百田批判をしていない汚点がある。あるいは同様の観点なのかもしれない。であるとしたなら「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く」の評が相応しい。今からでも遅くない、本ブログの観点からの戦士証言に向かいますよう、さすれば相当に意味のある営為であるのにと意見申し上げておく。
 

れんだいこのカンテラ時評№1270

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 8月 8日(土)23時00分30秒
返信・引用
   書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その1

 勇ましい百田発言が続いており、これを黙らす為に急遽本稿を書き上げ投稿しておく。ちょうど井上和彦著「撃墜王は生きている」を読んでいたところなので、その書評を通じて成敗しておく。2015(平成27).8月、井上和彦著「撃墜王は生きている」(小学館、2015.6.1日初版)を一気に読了した。「一気に読める」書に出くわしたのは久しぶりである。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その7、歴史への貢献について」を補完する内容になっていることに驚き且つ感謝した。

 ここで、れんだいこの「特攻隊賛美の反戦平和論」を記しておく。この立論はかなり珍しい。世上では「特攻隊賛美」見解が右と左で分かれており、右が賛美し左が叩くべく立論されている。右の賛美論は軍事防衛国際責務論に繋がつている。左の批判は反戦不戦平和論に繋がっている。

 しかしながら私には解せない。奇妙とさえ思っている。この理論を目下の政治情況下でトレースすると、「特攻隊賛美論」の右が、国際責務論でもって、自衛隊を、かっての特攻隊が戦った当の相手の国際ユダ屋の配下軍の使い捨て駒に奉仕させようとしている姿が見えてくる。彼らの「特攻隊賛美」のお里が知れる話しであるが、彼らは、国際ユダ屋への奉仕による利権を先にしており特攻隊をダシにしているのではなかろうか。

 他方、「特攻隊叩き論」の左は、反戦不戦平和論でもって、自衛隊を、そのような役割での使い捨て駒にさせようとしている政治の動きに対して反対している。それは良いのだが、それならそれで国際ユダ屋相手に先達的に戦った特攻隊を見直そうとする動きが出ても良さそうなのに出てこない。「特攻隊のサムライ涙」を理解すべきなのに相変わらずの批判に忙しい。こちらも案外と国際ユダ屋へ裏から奉仕しているのではなかろうか。それ故に特攻隊の功を敢えてムシしているのではなかろうか。

 私には「特攻隊賛美の反戦平和論」こそが自然である。なぜこうならないのかが訝しい。冒頭のリンクブログで述べたように、特攻隊兵士の犠牲が決して「無駄な自殺攻撃」ではないこと、彼らの必殺特攻が相当の成果を挙げたことにより恐怖を与え、待ち受ける日本統治の手強(ごわ)さを教えたと云う意味での「その後の歴史抑止力」として働くことになったこと、そういう「尊い犠牲」であったと知り、彼らの死を犬死視してはならないと指摘した。これが正しい歴史の継承の仕方であると自負している。

 本書は、これを裏付けるに十分な戦闘機パイロットの戦闘証言記である。「5名の生き残り撃墜王の証言」を下に、戦後反戦平和運動論の主要な理論であるところの「そもそも無謀な戦争論、特攻隊無駄死、蛮勇論」のウソを暴いている。これが本書の第一功績である。(以下、「5名の生き残り撃墜王の証言」の概略をスケッチしておこうと思うが、ここでは省く)。

 本書は、かの大東亜戦争末期の昭和天皇の終戦勅語放送時でさえ、次第にジリ貧に追いやられながらもなお敢闘精神旺盛だった様子を活劇描写している。これが本書の第二功績である。れんだいこも含めて大方の者がそうであろうが、そういう史実につき不覚にも知らないまま今日まで過ごして来ているのではなかろうか。仮に反戦平和を語り続けたとしても、国際ユダ屋仕立てテキスト通りの範疇で口パクしているのではなかろうか。しかしてそれは、終戦後の日本を占領統治したGHQのウォーギルト.インフォメーション.プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)による情報統制&洗脳策のワナに入れられている。かく認識する必要がある。

 WGIPテキストでは、戦争は常に国際ユダヤ側の正義の聖戦とこれに抵抗する側の野蛮戦との戦いである。第二次世界大戦も又同様に自由主義陣営の彼らと、これに抵抗するファシズム陣営の戦いであった。自由派の米英仏を主とする連合国が勝利し歴史を進歩させた云々。これを進歩主義史観と云う。典型的な「勝てば官軍、負ければ賊軍」論理であるが、この理論がシャワーの如く浴びせられ洗脳されている。

 故に、ファシズム陣営のすること為すことが無謀であり、侵略であったと断罪されている。この総括に立って、将来に向けて二度と楯突かないと云う意味での恭順不戦論、反戦平和論が唱えられる。過去に向けて戦犯責任追求論、損害賠償請求論へと向かう。他方、手前たちの行為は仮に同じことをしていても、あるいはもっと酷いことをしていても常に免責される、ないしは称賛される。原爆責任も同様で、終戦を早めたのだから逆に感謝せよと居直ることになる。極東裁判は、この見地からの敗戦国断罪、A級戦犯処罰、その見せしめの一大観劇デモであった。

 れんだいこの観るところ真実はこうである。お仕着せメガネを外してみれば、第一次、第二次世界大戦とは、近代以降の西欧各国王朝打倒革命に続く、波に乗る国際ユダ屋の世界支配を廻るユダ屋側と反ユダ屋側の戦争だった。ユダ屋側が勝利の美酒に酔い、その日より今日までますますのユダ屋ワールド造りに向かっている。それが良質のものであれば良いのだけれど、戦争を何よりの好物とし、世界を金融支配し、医食法をコントロールし、人間を次第に下種なものにし、地球の生態系を滅ぼしつつある。しかも、その危機を危機になればなるほど歩みを深める方向で穴掘りし続けている。原発が象徴しているが他の何もかもがそうである。

 故に我慢ならない。生ある限り今現に進もうとしている道の恐き危なきことを連打太鼓し、我々が歩むべきレールを敷き代えるよう告発し続けたい。
 

レンタル掲示板
/43