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れんだいこのカンテラ時評№1259

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 7月22日(水)18時35分27秒
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   【大正天皇実録考その2】

 本稿で大正天皇の出自考をしておく。見たことも聞いたこともない話しになるであろうが、三度ぐらいは読み直して欲しいと思う。

 大正天皇は、1879(明治12)年、明治天皇の第3皇子として生誕する。母は側室2位局の柳原愛子(やなぎわらなるこ)である。親王の幼称は明宮(はるのみや)、御名は嘉仁(よしひと)。明治天皇には5人の皇子がいたが成人したのは明宮嘉仁だけである。これにより明治天皇没後、大正天皇として即位する。この大正天皇が在位中に幽閉され最終的に毒殺される。大正天皇に限ってなぜこのような最たる不敬事件が起り、それが許されたのか。大正天皇をして何がかくも過酷な運命を強いたのか。

 こう問うことに一理あるように思われる。こう問わない大正天皇論は物足りない。れんだいこは、この解を次のように求める。それは大正天皇の母に秘密が隠されているように思われる。その扉を開ければ、母の愛子(なるこ)が日本天皇制史上の拮抗軸である「出雲系/外来系」に照らして出雲系皇家の血筋であることが見えて来る。当時の家柄としては藤原北家の血を引く公家華族であるが、この際の「藤原北家」にはさほどの意味はない。要するに公家であり歴史的交合の結果として出雲系として登場していることに意味がある。

 ちなみに、愛子は歌人として知られる柳原白蓮(本名燁子、あきこ、1885-1967年)の伯母に当たる。即ち白蓮の父・柳原前光の妹である。してみれば、愛子と白蓮は姪の関係であり、愛子の子たる大正天皇と白蓮は従兄妹にあたることになる。(白蓮については「柳原白蓮考」参照のこと) このことの重要性がどこにあるのか。愛子を白蓮同様の歌人としての血筋に注目すれば足りるのだろうか。否、歌人としてのDNAは結果であり、本当に重要なことはもっと深いところに求められるべきではなかろうか。れんだいこは、その解を、「出雲王朝系血筋」に見出す。即ち、大正天皇の母が出雲系である故に出雲系の血筋を引き継いでおり、その親王がポスト明治天皇後の大正天皇として登場したところに特筆されるべき歴史的意味があると解している。

 このように注目されることがない。それは日本を歴史的にどう見るのかの視座が定まっていない故のことでしかない。日本を「原日本/新日本」の標識で解析しようとする史家の眼には大正天皇の特異性が見えて来る。即ち出雲系親王として愛育され、1889(明治22)年、11歳で皇太子。1900(明治33)年、20歳で同じく出雲系の九條道孝公爵の4女・節子(さだこ)と結婚。夫妻は4男の息子に恵まれている。1912(明治45)年、34歳で大正天皇として即位。これより「押し込め」幽閉されるまで近代日本史上稀有の出雲王朝系天皇の御代が続いたことになる。

 大正天皇は当然、出雲王朝(原日本)系政治を志向し始める。大正時代の時代的明るさはこれによる。それは何も西洋語のデモクラシーのみで語られるべき筋合いのものではない。出雲王朝(原日本)系政治の功でもある。但し、そういう大正天皇政治は難航を際めた。それは、日本史上に新たなベクトルとして「土着日本/国際ユダ屋」なる対立が登場していたからである。出雲王朝派の政治と国際ユダ屋の政治とは政治の型がまるで違う。それはやや小ぶりになるが戦後日本政治のハト派とタカ派の政治の型の違いに比することもできよう。

 大正天皇の御代、既に黒船来航以来の国際ユダ屋勢力が跋扈しており、これに抗する在地土着派と呼応する売国派との抗争が深刻化していた。結果的に大正天皇派が破れ、大正天皇は「押し込め」られ、代わりに皇太子裕仁親王が摂政となり、1926(大正15)年、崩御。こたびの大正天皇実録の第二次公開により、元老・山県派による執拗な大正天皇攻撃、その最後としての毒殺が推理されることになった。

 そういう悲惨な結末を余儀なくされたが、今瞑して思うべきは大正天皇の御代そのものを創り出した能力の方を好評価すべきかもしれない。この観点から見れば、昭和の御代は既に国際ユダ屋に引きずられる歴史の負の流れでしかない。昭和の御代に浮かれる者は大正天皇の御代を知らない半可通でしかない。結果的に大東亜戦争に誘い込まれ、国家的民族的危機に追い込まれた。その敗戦国日本を復興しその後の高度経済成長へと導いたのが原日本派の能力であった。これが戦後日本の保守主流派を形成したハト派の本質である。但し、戦後日本は一筋縄で括れるものではない。戦勝国側に餌食にされるべき運命にある。この両ベクトルが絡み合って進んだのが戦後日本ではなかろうか。

 更に云えば、現代日本政治とは、自公であろうが民主、維新であろうが目先だけの差であり、本質は国際ユダ屋に雇われた者たちによる請負政治に過ぎない。彼らは、原発、国債、重税、派兵、TPP、改憲の六重奏で二度と立ち上がれない日本づくりの下働きをしているチンケな連中である。これにより、国際ユダ屋配下日本と云う新たな日本、日本でない日本、見たことのない日本に向かうことになるであろう。
 
 

れんだいこのカンテラ時評№1258

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 7月20日(月)12時36分16秒
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   【大正天皇実録考その1】

 「NHK/大正天皇の実像詳細に」その他を参照する。
 (http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0701.html

 2015(平成27).7.1日、宮内庁が、大正天皇実録の第二次公開としてほぼ全文を公開した。「大正天皇実録」とは、生歴1879(明治12)年-1926(大正15)年、在位1912(明治45).7.30日-1926(大正15).12.25日と云う履歴を持つ大正天皇の47年の生涯を記録しおり、当時の宮内省が1927(昭和2)年から1937(昭和12)年まで10年間にわたって編修し、計95冊で構成されている(本編は85巻5000ページ余りからなる、ともある)。大正天皇実録は全巻が皇居にある宮内公文書館に所蔵されている。昭和天皇実録は2014(平成26)年に完結し2015年の3月から段階的に出版が始まっているが、大正天皇実録は今のところ出版計画がない。所定の手続きをとれば宮内庁書陵部図書課で閲覧できるとのことである。

 宮内庁は、大正天皇実録を2002(平成14)年~2011(平成23)年にかけて4回に分けて順次公開した。これを仮に第一次公開と命名する。その際、特殊性、機密性の強い箇所については個人識別情報として全体の約3%を黒塗りにしていた。その後、2011年、公文書管理法が施行された。一方、2014(平成26)年に完成した昭和天皇実録は個人情報に当るものも可能な限り公開するとして黒塗りは行われなかった。そこで大正天皇実録についても同じ基準での公開が迫られていた。

 2015(平成27).7.1日、大正天皇実録の第二次公開により、これまで個人情報保護などを理由に黒塗りにしていた部分の大半が解除された。解除された黒塗りは本編だけでも1000ヶ所以上に及び黒塗り部分の凡そ8割に当る。これにより黒塗り部分は全体の3%から0・5%に減った。宮内庁は、「時の経過」を踏まえて「考慮した結果」と説明している。但し、診断書や成績は引き続き非公開となっている。

 ところが、「こたびの大正天皇実録のほぼ全文公開」につき、ネット空間では音沙汰なしのようである。このことは関心が薄いことを示しているが、れんだいこは大いに注目している。騒がれていないのは、長年にわたって大正天皇に関心が向かわないよう報道管制が敷かれて来た結果としての盲目に過ぎないと思っている。事実は衝撃的である。その一つは、大正天皇論に纏わる病弱論、無能論が否定されたことである。事実は、「れんだいこの大正天皇論」に記したように「大正天皇の才を見るにむしろ稀に見る英才であり歴代天皇の中でも指折りの有能の部類に入る」と評されるべきである。

 もう一つ確認しておく。大正天皇実録の第二次公開によって大正天皇論毒殺の経緯と様子が間接的に明らかにされた。主犯は元老・山県有朋及びその徒党である。これを確かめるには大正天皇実録を直に当らねばならぬが、かく予想しておく。

 この系譜が、1・第14代征夷大将軍/徳川家茂急逝(1866.6.20日、20歳)、2・第121代天皇/孝明天皇急逝(1866.12.25日、36歳)、3・第122代天皇/睦仁親王(京都明治天皇)急逝(1867.7.8日)を手掛けており、大正天皇論毒殺はこれに続く「王殺し」であった。背後に潜むのは、黒船来航以来、我が国内を大手を振って闊歩し始めた国際ユダ屋である。こういう推理に導かれるからこそ大正天皇実録が公開されずに来たのではなかろうか。以下、これを論証とする。
 

れんだいこのカンテラ時評№1257

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 6月10日(水)20時52分2秒
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   2015自共党首討論の和気藹々考

 遅まきながら、2015.5.20日の安倍晋三首相と日本共産党の志位和夫委員長の党首討論を論評しておく。実に興味深いやり取りをしているので魚拓文にしておこうと思う。実際のやり取りは、「2015.5.21日付けしんぶん赤旗」の「日本の戦争を『間違った戦争』とさえ言えぬ首相、戦争法案を提出する資格なし、党首討論、志位委員長の発言」で確認することができる。

  党首討論は、志位(委)が安倍(首)の大東亜戦争観を尋ねるところから始まっている。一般的にどう思うかではなく、「過去の日本の戦争は間違った戦争という認識はありますか」と誘導質問的に問うている。安倍(首)は次のように答えている。概要「戦争の惨禍を二度と繰り返さずの不戦の誓いを心に刻み、戦後日本は平和国家としての歩みを進めてきたことを踏まえつつ世界の繁栄や平和に貢献することを決意しています」。

 志位(委)は概要「答えになっていない」と評し、続いて「戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まりました」と前置きしてポツダム宣言の中身に言及している。即ち、特に第6項の「世界征服企図戦争論」、第8項「カイロ宣言認定の侵略論」の規定を採り上げ、両宣言共に大東亜戦争を「間違った戦争だとしている」とした上で、「総理はこの認識をお認めにならないのですか」と迫っている。これに対し安倍(首)が次のように返答している。概要「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので承知はしておりません。今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思います」。

  これに対し、志位(委)は「ポツダム宣言の認識を認めるのか認めないのか」と折り畳むように尋ねている。安倍(首)は次のように返答している。概要「ポツダム宣言を受け入れて戦争を終結させた。日本はこれを受け入れることによって終戦を迎え平和国家としての道を歩き始めることになった訳です」。志位が次のように難詰している。概要「戦後の国際秩序は日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理は侵略戦争はおろか間違った戦争だともお認めにならない」。返す刀でこう結んでいる。概要「そういう歴史判断の暗い総理が日本を海外で戦争する国につくり変える戦争法案を出す資格はない。撤回を強く求めます」。

 何となく志位の攻めが功を奏しているように思える。世評も断然、志位の方に軍配を上げている。しかし、れんだいこは別の見方をしている。これが云いたい為に本ブログを書き付けつつある。志位質疑を好評するとすれば、他の論者が気の抜けたビールのような党首討論しかしていないのに比して、多少なりとも意味のある質疑応答をしていたと云う点においてである。つまり形式要件においてである。中身を採点すると面貌が変わる。結論から述べれば、両者共に由々しき政治家失格識見を披露している。これを仔細に見れば、斬られはずの安倍の方がかかと一枚残しており、斬ったはずの志位の方が再起不能的脳震盪に見舞われる予感がある。これを確認しておく。

  安倍の由々しき政治家失格的識見ぶりは無能力と無責任に帰す。中曽根、小泉以来の更なる軍事防衛国家化へ向けての日本大改造を手掛けている最中の当事者である首相が、戦後日本始発の国際テーゼに対して「不詳」と公言することが許されるのかどうか。普通は有り得てならない失言であり、実際にそうであれば失態と云うより現下の戦争法案は出直しが当然であろう。しかも、安倍は、この無知を無知と痛痒していない能天気さをも晒している。今や安倍のこの能天気さは国内のみならず世界でもお笑いの域であり、知らぬは当人ばかりなりの感がある。その意味で、この答弁を引き出した志位質疑は重要なポイントを上げたことは相違ない。

 ところが、志位は、安倍を斬るのに、その論旨が志位自身を切り刻んでいる感がある。即ち、この質疑を通じて、共産党の委員長たる志位がポツダム宣言を丸呑み、錦の御旗の絶対正義としていることを判明させている。しかしながら、そのような態度が本来の共産党のものであろうか。ポツダム宣言は勝国側の手になるものであり、もっと端的に言えば国際ユダ屋側のものである。こたびの党首討論は、志位がその国際ユダ屋戦後テーゼの忠実な教徒ぶりを満天下に晒したことになる。れんだいこは、ここに異様さを見て取っている。もっとも当の志位は無痛のようである。前委員長・不破のフリーメーソン史観を忠実に継承しているだけのことと嘯いているのかもしれない。

  こうなると、裏舞台を見れば、右と左と云うポジションは違えども両者は案外と国際ユダ屋同盟仲間なのではなかろうか。通りで党首討論が剣呑にならず和気藹々質疑で終始した訳である。もう少し詳しく述べれば、両者とも国際ユダ屋に飼われている仲間であり、右からのそれが安倍(自公民)、左からのそれが志位(社共)と云うことになるのではなかろうか。れんだいこは、国際ユダ屋論を獲得して以来、これを否定するより肯定する事象ばかりが目についてくる。即ち、この観点より総洗いざらいすれば歴史の深層の真相がよほど見えてくるのではなかろうかと思っている。誰か共認せんか。
 

れんだいこのカンテラ時評№1256

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 5月 3日(日)12時26分22秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その8

 そろそろ「護憲論としての縄文社会主義論」を煮詰めておく。本稿では、これまで縷々縄文社会主義論に言及してきたことを受け、「何で今、縄文社会主義論なのか」と設題し解答しておく。縄文社会主義社会の政体、生態についてより詳しくは「別章【出雲王朝神話考】」に只今進行中で書き付けつつあるので参照されたい。付言しておけば、世界から好評価されつつある日本のあれこれは、この頃に作られた日本のあれこれである。

 もとへ。「何で今、縄文社会主義論なのか」の解はこうなる。日本史上の記紀神話が意図的故意に及び腰な言及で済ませている大和朝廷以前の邪馬台国御代、更にそれに先立つ出雲王朝御代の政体を高く評価せよ。

 それは何も懐旧趣味によるのではなく、どうやら実際に善政を敷き、その善政を支える思想、精神、文化、習俗、伝統等を確立していたと知るべきで、それがエコロジー的に高度で今後の人類の未来社会を先取りしている風がある。故に、それを追慕し且つ現代版バージョンに焼き直せよと指針せしめることになる。

 こう聞いて嘲笑する者も居るだろうが笑う者が笑われる。日本上古代史の出雲王朝御代は世界に冠たる否人類史に冠たるお手本的な御代であり、この文明を探索することは大いに有益である。こう確認するところから縄文社会主義論が始まる。れんだいこらしい一言を添えておけばこうなる。訳の分からん日ユ同祖論で煙巻きする暇があるなら、縄文社会主義論に集約される日本文明源流論を学ぶべきである。同じ荒唐無稽譚に興じるなら日本文明源流論の方がはるかに傑作で有益であろう。

 この縄文社会主義論の現代的意味、意義は、この論こそが現代世界の閉塞をこじ開ける能力を持つからである。現代世界を席巻する国際ユダ屋の創造する社会が余りにもいびつなものであり、地球環境の絶対的危機にまで辿り着いてしまっているにも拘らず解決する能力がない。

 と云うか、危機であればあるほどその閉塞にますますのめり込む式の知恵しか持ち合わせていない。分かり易く云えば、原発事故が起れば起るほどますます原発にのめり込もうとする愚かさに似ている。彼らの頭脳は原基的に中毒性気質を帯びている。そういう類のものでしかない。

 それと余りにも対比的なのが日本式縄文社会主義論である。国際ユダ屋文明が錯乱しつつある今日のような折柄に於いては、いやましに脚光を浴びざるを得ない。縄文社会主義論こそが狂気性を深めつつある国際ユダ屋的支配に棹差し、反転させ、本来のあるべき社会を創造し得る。現代社会の危機を救う処方箋を提示できる。

 出雲王朝御代、邪馬台国御代へと辿り着く社会総体を仮に日本文明と命名すれば、日本文明の素晴らしさは人間と自然との共生叡智を確立しているところにある。自然の中に神を観ているので神人和楽となり自ずと共生志向する。人間と自然の関係が共生であれば人間と人間の関係もそうなる。社会、国家もこの共生原理を通底させることになる。ホツマ伝えを見よ、そのように指針させている。

 この点で、国際ユダ屋のそれは真っ向から対立している。彼らにあっては自然は人間に支配される物質に過ぎない。彼らは自然支配する故に人間と人間の関係もそうなる。社会、国家もこの支配原理を通底させることになる。彼らの闘争論にはやるかやられるかしかなく、やるなら徹底的にやれ、中途半端が一番悪いと教える。故に日本式手打ち論を憎む。故に人と人との万年闘争論、階級闘争論、積極的平和主義と云う名での永久戦争論を振り回すことになる。タルムードを見よ、そう書いてある。

 最近のTPP騒動も、絵に描いたように国際ユダ屋の悪知恵商法である。日本文明は長期安定的平和的なシルクロード交易を好むが、国際ユダ屋は一攫千金的な収奪的なハゲタカ交易を求め続ける。科学と化学の関係もそうである。日本文明は科学>化学で科学を基調としているが、国際ユダ屋は化学>科学で殊のほか化学を好む。この化け学志向が彼らの原理であるように思われる。今やその化け学が原爆、原発に辿り着いており、同様な意味において経済的にも金融的にも詐欺的なことばかりしており、司法的にも政治的にも警察的にも軍事的にもその他何でもかんでもご都合主義的なインチキばかりしている。

 今や人類の救済はこうシグナルさせている。国際ユダ屋を支配の座から引き摺り下ろし再び歴史的に蟄居させねばならない。この連中に世上権力を与えてはならない。彼らをのさばらせれば碌なことにならない。こういうことが歴史的にはっきりしたのが現代である。

 ならば誰がそれを引き受けるのか。心配しなくて良い。既に新しい時代に相応しい動きが西欧圏、イスラム圏で始まっている。アジアでの中国、インド、南米その他の台頭もこれにリンクし始めるであろう。問題は我が日本である。一番遅れている。自公民政治とは、お笑い劇場内でトラックを手を振りながら逆走して拍手されている芸者型ピエロに過ぎない。世界は、あんなものは本当の日本ではないとみなして冷ややかに嘲笑している。それはさておき、日本が新時代の世界にリンクするには縄文社会主義論で伍すのが良い。縄文社会主義はこういう位置づけから生まれつつある。誰か共認せんか。
 

れんだいこのカンテラ時評№1255

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 4月 3日(金)19時05分11秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その7

 前稿の補足として気にかかることがあるので言及しておく。日本左派運動が、戦後憲法をプレ社会主義法的なものとして位置づけ損なったことを指摘したが、そういう誤りに似た例として革命論を廻る論争がある。テーマとして日本資本主義の帝国主義への転化が未然か既遂か、日本資本主義の自立への転化が未然か既遂かを廻って論争が繰り広げられてきた。

 専ら日共系が帝国主義への転化未然論、対米従属論を唱え、新左翼系が帝国主義への転化既遂論、日帝自立論を唱えてきた。その折衷変種として日帝対米従属論も存在する。1970年代まではこういう革命論が盛んであった。しかしながら、1980年代に入って左派運動が衰微するに連れ、いつの間にか議論されなくなって今日に至っている。これにつき、れんだいこに見えてきた見解を発表しておく。

 日共系の対米従属論はいつもの例の通りのすり替えである。本来は国際金融資本(れんだいこは「国際ユダ屋」と命名している)を見据え、これに対する従属とすべきところを対米従属にすり替えている。このすり替えの犯罪性は、アメリカも又国際ユダ屋に従属させられており、いわゆる先進国と云われる西欧諸国全体が然りであるとする見立ての発展を阻止しているところにある。国際ユダ屋に眼がいくところを意図的故意に米国にすり替えて事足りようとしており、要するに急所をぼかしていることになる。これがどうやら意図的故意だから許し難い。

 他方、新左翼系の日帝論、その自立論が虚妄であることがますますはっきりしたように思われる。今日の日本の現状を見れば、日本資本主義を帝国主義規定して論ずる必要はない。むしろ国際ユダ屋従属性こそがトレンドのように目立っている。してみると、日共系が国際ユダ屋論へ向かわないように巧妙に論を組み立てているのに対し、新左翼系と来たら国際ユダ屋問題論そのものがないと云うことになるのではなかろうか。中には米国の東部経済と西部経済の争いが云々なる珍論で煙巻きするところもあるが、日共のアメ帝論同様の意図的故意のすり替えであろう。

 思えば、新左翼系のその後の自滅は、こういうところの理論の未熟から来ているのではなかろうか。社共式運動が国際ユダ屋の左側走狗に過ぎないと認め、対抗運動を創出したのには正義性があり、新左翼各派はその限りに於いて支持され一定の党的発展を遂げた。だがしかし、自前の革命運動レベルでの能力が問われる段になると解体玉砕方式しか展開できなかった。そういうお粗末な経緯を経ながらでも今現在、党的力量を保持している党派があるとすれば値打ちものであり立派と云うしかない。

 問題は次のことにある。日本左派運動の背景に指針、理論の間違いぶりがあり、それ故に人民大衆的支持を得られないまま今日に至っていることに気づくべきではなかろうか。一案として、れんだいこカンテラに従いレールを敷き直せば再度歓呼で迎えられる機会があるのではなかろうか。即ち、社共運動のエセ性を見据え、日本型共生主義の大道に歩を力強く進める。その際の基準は縄文社会主義であり、日本式神人和楽の助け合いによる王朝楽土建設である。外国式絶対真理如意棒を振り回す必要はなく、内に向けても外に向けても諸国民共和を志向し、そのらせん的漸次革命による共同体づくりに邁進すれば良い。

 こういう政治運動がないことが政治貧困なのではなかろうか。何故にそうなるのか興味がわくがここでは問わない。こういう政治運動があり、そういう政治運動下に身を投じて生活していけたとしたら寿命が短かろうが悔いるものはない。今後、この種の新党が誕生し日本政治を席巻する日を夢見たい。その為の日本改造指針論を著してみたいと思う。
 

れんだいこのカンテラ時評№1254

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月28日(土)11時10分48秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その6

 以上が憲法の示す反戦平和規定である。世上のそれと戦後憲法のそれが似て非なるものであることが分かろう。つまり世上のそれが戦後憲法に即したものではなく戦勝国側の国際ユダ屋テキスト通りのものに過ぎないことを意味している。と云う訳で、厭戦主義、無抵抗主義、服従主義、降伏主義、謝罪主義、賠償主義、自虐史観と云う国際ユダ屋の世界支配に好都合な反戦平和思想となっている。

 即ち、先の大東亜戦争からの教訓として、1・そもそも戦争するべきでなかったとする総括、2・戦争の悲惨さを伝える恐怖論。ここまでならともかくも、この後に続く3・勝ち目のない戦争であったのに無謀にも戦争に向かったことへの反省。4・そういう勝てない相手に二度と歯向かいませんの恭順降伏。5・戦争指導者批判。昭和天皇の責任免責の上での軍部批判。特にA級戦争犯罪人に対する戦争責任の徹底追及。6・日本の国家的戦争責任としての諸外国に対する侵略謝罪、7、日本の国家的戦争責任としての諸外国に対する賠償責任、8・自虐史観等々の論から構成されている。

 特徴的なことは、敗戦国側にのみ戦争犯罪が適用され、戦勝国側に対する責任追及が免責されていることである。故に戦勝国側の為した市民無差別殺傷の都市爆撃、広島と長崎への原爆投下による大量殺人は免責されるどころか終戦を早めた聖戦ジハードとして称賛されたりする。

 逆に負けた方に対しては、史実検証よりも弾劾が優先される東西での敗戦国側の戦争犯罪が告発され続ける。これが東京裁判の全体構図であるが、こういう「勝てば官軍、負ければ賊軍」を地で行く反戦平和論が洗脳的に教育される。世上に流布されている反戦平和論はそういう論理式で検閲済みのものばかりである。

 東京裁判式反戦平和論のどこがオカシイのか、これを確認しておく。第一次、第二次世界大戦は実は、近代史に発生した国際ユダ屋の世界支配問題を廻る両派の世界大戦であった。結果的に国際ユダ屋派が勝利した。その結果、この戦争に関して勝者側の国際ユダ屋派的総括ばかりが押し付けられているに過ぎない。

 日本式の戦(いくさ)の場合には平家物語、太平記で分かるように喧嘩両成敗的な、あるいはどちらが正義であるにせよ戦争の中に両者の悲しみを見て取るような視点があるが、国際ユダ屋派的総括にはそういうものは微塵もない。負けた相手は徹底的に極悪非道にされ、未来永劫に戦争責任が追及されていく。そういう反戦平和論になっている。

 しかしながら、仮に連中の反戦平和論を日本伝統式の公正な見方で評するとしたらどうなるか。それは全く逆の景色になろう。即ち狂人ヒットラー論に対しては、ヒットラーの菜食主義者、禁煙者、ベルリンオリンピック名指揮者、親日家、霊能力者ぶりの側面が見えてくるかも知れない。降伏後のナチスに加えられた拷問の非道さが見えてくるかも知れない。

 もう一つ確認しておきたいことがある。日本の大東亜戦争が、西欧列強による世界分割戦の結果としての植民地を覚醒させ、戦後のアジア、アフリカ諸国の独立闘争の契機になったと云う側面がある。この点で世界史に大きく貢献していることは疑いない。日本のこの世界史的貢献に不言及な反戦平和論は片手落ちなのに世上の反戦平和論は全く無視している。このような視点を欠いたままの反戦平和論にされてしまっている。我々はそろそろ、そういうニセモノ反戦平和論、護憲論に辟易すべき頃ではなかろうか。そういうものとは別の真に有益にして公正な理論と実践を欲すべきではなかろうか。その上での改憲策動との闘いが要請されているのではなかろうか。

 目下、自公民派によるサイコパス的好戦主義に基づく積極的平和主義に基づく軍事防衛政策史の塗り替えが進行している。これの黒幕は国際ユダ屋の世界支配網である。連中は何しろ5千年の悪知恵で仕込まれているので手強いといえば手強いが、その戦争政策が自家中毒しており、遂に我が身を滅ぼす段階域に辿り着いているように思われる。連中はいわゆる賢こ馬鹿で、狂ったまま自滅すると思うから楽観はしないが悲観もしない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1253

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月23日(月)16時55分37秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その5

 戦後憲法前文と9条の反戦平和論を有機的に結合させると、1・国際平和希求、2・戦争放棄、3・武力行使放棄、4・戦力不保持、5・国の交戦権不認の5項目を基本的要件として規定していることになる。これを一括して「戦争放棄条項」と規定している。社会党的には非武装中立論であり、文学的には「あっと驚く徒手空拳防衛主義」と形容できようか。

 これを虚と見なすのか実と見なすのかが問われている。今日の状況から評すればドン・キホーテ的理想主義には違いない。しかしながら、この規定が第一次、第二次世界大戦で蒙った世界的戦争悲劇の余燼燻る中で生まれたことを理解せねばならない。当時に於いては実在力があった故に規定されたと見なすべきだろう。ここのところは、歴史的与件抜きに後付け話法で評する者はいつの世でも粗脳でしかないので留意すべきだろう。

 憲法学者・西修博士の研究「日本国憲法を考える」(文春新書)によれば、「国策遂行の手段としての戦争放棄」規定は、1928年に締結された不戦条約で述べられた思想に発し、1931年のスペイン憲法にも戦争放棄条項が加えられており、世界の現行憲法の中で何らかの平和条項を持っているものは124カ国にも上ると云う。しかし、最も明確に厳格に「不戦規定」しているのは日本国憲法を嚆矢とする。

 ここから汲み出す法解釈は、「日本国憲法に随う限り、我が国の軍事防衛政策は、国家権力の手段として対外的には平和外交を通じての国際友好親善活動、通商交易による不断の国際協調路線、対内的には災害救援隊活動、純軍事的には専守防衛活動しか為しえない」ということになるであろう。この規定が空文であるのかないのかの論議は又別であり、忽ちはかく理解すべきであろう。

 以上の「憲法前文と9条の生成過程」の一部が次のように明らかにされている。GHQ草案作成過程で、新憲法の理想的精神について、幣原首相とマッカーサー元帥との間で白熱共鳴のやり取りが為されている史実がある。第9条の「武装放棄」については、幣原はマッカーサー元帥に、マッカーサー元帥は幣原の発案としてお互いが譲り合っている。「羽室メモ」は次のように証言している。

 概要「幣原はさらに、世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争を起こさないということをハッキリと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道ではなかろうかというようなことを話して、二人は大いに共鳴した」。

 幣原首相は次のように述べたと伝えられている。

 「中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思う」、「旧軍部がいつの日か再び権力を握るような手段を未然に打ち消すことになり、又日本は再び戦争を起こす意思は絶対ないことを世界に納得させるという、ニ重の目的が達せられる」。

 ところで、日本国憲法は第99条で、行政当局者の憲法遵守義務規定を次のように課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」。これによれば、行政当局者は、憲法改正を論じ運動することは許されても、改正以前に於いては現憲法を遵守するべしとする厳格な義務を負っていることになる。これを法治主義と云う。現下の前倒しは法治主義違反であり、勝共連合統一原理派の挙動はそのレベルを超えて憲法テロリストサイコパスの域のものである。この痴態を許してなるものかわ。

 本来であれば、この99条規定に基づく違憲訴訟裁判所が設けられ、違法行為につき監視すべきであろうが、そこまでの強行規定にはなっていないようである。諸外国の憲法との比較で論じたいが残念ながら知識がないので分からない。しかし、この規定によって役人は何人も、この規定との緊張関係なしには業務できないのであり、国民はこれを監視する権利を得ており義務があると云うべきだろう。ここを疎かにするような憲法学者を御用系と云う。この手合いの憲法学者が最近の憲法改正の動きに鈍感きわまるのもむべなるかな。
 

れんだいこのカンテラ時評№1252

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月22日(日)13時28分18秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その4

 ここで、戦後憲法に結実した反戦平和論の論理を解析しておく。世上の護憲論理とどう違うのか、その相似と差異を確認しておきたい。戦後憲法上の反戦平和論は前文と9条に記されている。これを確認する前に、あらかじめ分からず屋に申し上げておく。

 前文では先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任に言及していない。これを逆から云えば言及するよう強要されていない。このことは、当時の背景にある思想として、戦勝国も敗戦国も戦争行為につき同等の責任としており、東京裁判の如くな戦勝国称賛、戦勝国戦争犯罪免責、敗戦国懲罰、敗戦国戦争犯罪有責の構図にはなっていない。この違いを弁えねばならないところ国際ユダ屋テキストの指針する東京裁判史観に基づく反戦平和論ばかりが説かれて本来の護憲論理とすり替えられて今日に至っている。

 前置きはこれぐらいにして戦後憲法上の反戦平和論を解析しておく。前文は、敗戦国日本の今後の国の指針として自由自主自律的に「不戦の誓い」を格調高く宣明している。これが戦後日本出直しの始発となっている。世界がこれを認めることで国際社会に受け入れられ、戦後日本はそういう国際友好親善道を辿り始めたということになる。してみれば、先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任を深く負えば負うほど護憲的であるとする今日の社民式共産式護憲論が如何に的外れなものかが分かろう。

 前文を少し詳しく確認しておく。第一項概要「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、この憲法を確定する」。かく反戦不戦平和国家造りを使命として憲法を策定したことを明らかにしている。してみれば、「反戦不戦平和の誓い」は戦後日本の背骨的な原理であると云うことになる。第三項概要「日本国民は恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」、第四項概要「我らは平和を維持し、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」。かく恒久平和主義、平和維持活動、国際友好親善、国際協調主義に努めることを誓約している。

 第五項「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。かく国家責任的平和的生存権思想を打ち出している。第六項「この法則に従うことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」。かく国際的対等互恵主義を打ち出している。第七項「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」。かく意図的に理想主義を掲げ、それに邁進する日本を宣明している。

 次に憲法9条を確認する。第1項で次のように規定している。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。ここで、憲法前文を受け、更に能動的且つ大綱的に反戦不戦条項を敷衍していることになる。即ち、1・国際平和希求、2・国際紛争を解決する手段としての戦争放棄、3・武力行使放棄を詠っている。

 第2項で次のように規定している。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。即ち、4・戦力保持の禁止、5・交戦権の禁止を詠っている。

 以上、戦後憲法上の反戦不戦平和条項が5要素から成り立っていることが分かる。これを理解する上で肝要なことは、憲法前文と憲法9条を分離して論ずるのではなく有機的に結合させて読み取ることであろう。専ら憲法9条のみ吟味され骨抜き方向に拡大解釈されて来ている経緯があるが、それは不毛な論議に誘われるであろう。

 なぜなら、憲法9条の規定は、憲法前文の思想性に依拠しており、その論理の赴くところとして密接不可分に規定されているのであるからして、国の在り方としての思想性を問わない軍事防衛論議はどこまで行ってもスコラ学的解剖学的にならざるを得ず、それは憲法9条の意味を捉え損なうであろう。

 してみれば、自公民政権下での防衛論議が何とクダラン駄弁に終始していることだろうか。安倍政権下の自衛隊常時武装出動法案は何と憲法違反なことだろう。このところの国会質疑が何と憲法規定を無視して議論されていることだろう。ひたすら国際ユダ屋の指令するままに口パクし仰せの通り政治を請け負っているに過ぎない。

 これは既にサイコパスの域である。正確には戦後憲法テロリストサイコパスである。このサイコパスは思想的には勝共連合統一原理派に属しているようである。この系譜の連中ばかりが重役に就いているので、こう評することができよう。

 これにより連中が日本的でなさ過ぎるのが能く分かる。帰化人系がこの思想に馴染み易いようで要するにお似合いなのだろう。このサイコパスが原発放射能の糞尿垂れ流しのまま再稼動やら輸出せんとしている。何と高いお詫びが後世につくことだろうかと今から危惧するが、サイコパスは日本をそういう苦しむ目に遭わせてみたいらしい。この連中とは刺し違える以外に方法がないかもしれない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1251

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月16日(月)20時36分23秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その3

 目下のシリーズは人気がないようだが今しばらく続ける。日本左派運動が戦後憲法のプレ社会主義法性を見つけ損なっていることが様々な面で悪態を生んでいる。その一つが憲法記念日の傍観無為である。憲法記念日祝祭はハト派が戦後保守主流派であり得た時代に於いて大事に祝されてきたがハト派が解体されて以降はおざなりの行事に化している。

 日本左派運動は、理想社会を先取りした戦後憲法のせっかくの祝祭日を得ておりながら、この行事を主体的に運営し、戦後憲法受肉化の為の紅衛兵運動を組織し、憲法を息づかせることをせぬままにやり過ごして来た。

 その癖、タカ派系の建国記念日、靖国神社、保守系検定教科書等々に於ける右翼の活動に難癖つけて悦に入ってきた。要するに自前のものを生み出す苦労を厭い、相手のそれを引っ掻くと云う安逸な作法を得手としてきた。そういうものを幾ら戦闘的にしたとしても本質的に卑怯姑息でありケチ付け運動に過ぎないのではなかろうか。れんだいこには若い頃からそういう不満があり彼女とトラブってきた苦い履歴がある。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の検定教科書用「日本の歴史」に対する抗議運動に言及しておく。それが仮に右派系のものであるとすれば、それに対抗する左派系の検定教科書用「日本の歴史」を編纂して対置すれば良いではないか。肝心のそういう営為をせず、保守系歴史教科書批判に耽っても説得力が弱かろう。

 ここでこのことを取り上げるのは、この作法がどうも日本左派運動の宿亜ではないかと思うからである。国会内外で口先だけの批判をしてお茶濁しをしている議員活動、「国連への手紙」などを得意げに吹聴しているだけのアリバイ反対派の生態に似ている気がするからである。連中は一事万事がそうである。

 戦後憲法のお陰で世界一自由な主義者活動が許されながら結果的に次第に政権に辿り着く道から遠ざかり、今となっては野党暮らしを楽しみ、否むしろ今日的には総破産しており、社民、民主の場合は裏取引専門になり、共産の場合には政界ゴシップ騒動屋としてのみ機能させられている。致し方ないと見なすべきではなかろうか。

 そこで、れんだいこの出番となっている。れんだいこは、戦後憲法をプレ社会主義的なるものとして位置づけ、今や更に日本固有の在地土着的縄文社会主義を獲得することにより、そういう観点からの護憲の御旗を手にしている。この系からの運動は今始まったばかりであり目下は海のものとも山のものとも分からぬ状態であるが、渇いた大地に水が浸み込むように支持されていくであろうことを確信している。

 生まれ代わってもう一度チャレンジできるなら、この史観、思想で学生運動を仕切り直し天下を取る。天下が自己目的ではない。政権を取ることによりできるあれもしたいこれもしたいを実現させたい為である。丁度、田中角栄政権をもう三倍政権に就かせていたら同様の夢を見られたのにとも思う。そういう日本にさせてはならないとする判断からの用意周到な角栄潰しがロッキード事件の真相ではなかろうか。

 この観点にたって初めて改憲派の狙いが透けて見えてくる。自公民政権下での改憲策動は、国際ユダ屋が日本の自衛隊を傭兵として使い、日本をアジア、イスラムと戦わせようとしていることによる。その挙句に使い捨てにしようとしている。但しそればかりではない。もう一つの狙いとして日本の伝統的な縄文社会主義的共同体の絆を切り刻んでしまい、日本人野郎を国際ユダ屋の下男に日本人野女を娼婦にせんとしている。

 従軍慰安婦問題で殊更に謝罪を強要しているのはひょっとして日本人野女に今後同様の償いをさせようと企図している伏線ではあるまいか。ああいう連中だからこれぐらいのことは十分あり得る。そういう時代へ引き込む呼び水が改憲の意図ではなかろうか。これが近未来の日本の姿であるとしたら涙なしには語れない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1250

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月14日(土)15時50分17秒
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   護憲論としての縄文社会主義論その2

 「護憲論としての縄文社会主義論その1」で言及したように、日本史上の歴史的伝統的な正統革命家である角栄に対して、西欧思想被れ結社として自己形成しているに過ぎない当時の社会党、共産党が角栄討伐の先陣争いに向かった。それを誰が号令指揮したのか。こう問う者は少ないだろうが、れんだいこは疑惑し続けている。

 一例として次の事件を挙げておく。1983(昭和58).8.26日、ロッキード裁判で検察が角栄に対して懲役5年・5億円追徴、秘書の榎本に対して懲役1年の論告求刑した。その当夜のこと、マスコミは一斉に検察求刑を正義的に評した記事を載せ、総評、社会党、共産党も呼吸を合わせて「検察応援・論告支持・田中有罪」の御用ちょうちんを持って目白の田中邸を包囲した。

 ちょっと待て。平素取り締まられることはあっても取り締まる側に回ることなぞなかったであろうに、この時の総評、社会党、共産党はお上権力丸出しの「御用」と記したちょうちんを持って角栄糾弾闘争に向かっている。オカシくないだろうか。れんだいこにはその神経が分からない。これが分かる為には、この立ち位置が案外といざ鎌倉時の社共の裏の顔ではなかろうかと察すれば良い。

 ロッキード事件で戦後保守ハト派の総帥角栄を潰し、田中大平同盟に楔を打ちこんだことによって、中曽根に始まる戦後保守タカ派主流派時代を呼び水したの周知の通りである。それは丁度、60年安保闘争で、これを牽引したブントがタカ派の岸政権を打倒することによりハト派の池田政権を呼び水したのと対照的であった。当人たちの意識とは別に歴史に果たした役割を俯瞰する時、ブントが好評価されるべきで社共が悪評価されるべき理由がここにある。ここでは、そういう彼らの戦後憲法論を確認しておく。

 社会党、共産党は穏和的な左派運動を担っているところに役割がある。彼らの革命論は民主主義革命であり、社会主義革命派に対して厳しく対峙する役目を持っている。これが、党員レベルではいざ知らず党中央レベルが担っている裏の顔である。左派系党派の党中央がそういう風に飼われていると判ずる必要がある。素人がそういう党中央に身も心も預けるとろくなことにならないのでご注進しておく。

 その彼らの護憲運動論が興味深い。彼らはブルジョア憲法を何故に護るのかと問い、日本革命の当面が民主主義革命を要求している故にと説明する。この範疇で戦後民主主義論を唱え、これに護憲論を接合させると云う論理式の護憲論を唱えている。

 この理論は、戦後憲法の中にある社会主義性を認め、それを擁護称揚すべきであるところ、敢えてそう説かず民主主義革命の範疇で語り続けると云う意味で反動性がある。但し、回りくどかろうとも結果的に護憲論にシフトしており、このことが歴史的な正当性を獲得し、人民大衆的に支持されてきた要因であると思われる。

 こういう社共運動のエセ運動性に反発して登場して来た急進的社会主義革命呼号派の新左翼の運動はどうだったのだろうか。モーリス・メーテルリンク作の童話劇「幸せの青い鳥」になぞらえれば「幸せの赤い鳥」を求めて彷徨した挙句、結論から云えば度し難い運動に陥ってしまった。

 その間違いは、新左翼各派も又戦後憲法をブルジョア憲法と位置づけ、要するに戦後憲法の中にプレ社会主義性を見つけ損なったところにある。その上で社共との違いを際だたせようとしてか社共式護憲論に反発した戦後民主主義体制解体論を対置し悦に入った。こうなると、曲がりなりにも護憲に成功した社会党、共産党に比して、直接的な社会主義革命を唱えながら、プレ社会主義的要素を先取りしている戦後憲法を否定すると云う、とんだお笑いの空理空論の倒錯理論に陥ってしまったことになる。

 今でこそ戦後憲法に依拠する運動を創出しているが、それは救援活動等の経験から本能的に生み出しているのであって未だに理論的な裏づけを持っているように思えない。能天気に護憲論と解体論を持ち出す要領を得ない代物となっているのではなかろうか。彼らはブルジョア憲法であるとする戦後憲法を何故に擁護するのかと云う理論課題を未だに解明していない。一時はポツダムヤルタ体制打倒論を唱えて右翼の改憲論とハーモニーする時期さえあったほどである。

 れんだいこ史観から評すれば、社民やマルクス主義派の護憲理論がこのようなものであるので新旧左翼とも頼りにならない。こうなると気づくことがある。一番望まれている社会主義革命論を唱え且つ護憲と云う党派がなぜ出てこないのだろうか。肝要な党派がスポッと抜け落ちた形で左派運動が展開されていることになるが、これは偶然だろうか。

 彼らは過渡期論で間に合わせれば足りるのに徒に小難しく革命論を論(あげつら)う癖がある。我々はさほど意味のない革命論に耽らず、人民大衆の生活第一を掲げ且つ護憲派政党を期待している。こういう政党がなぜ登場しないのだろうか。仮に登場しようとすると、よってたかって袋叩きにされるのはなぜなのか。こういう時に決まって共産党がしゃかりきにいきり立つのはどういうことか。こういう疑問が生まれることになる。
 

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