teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


れんだいこのカンテラ時評№1252

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月22日(日)13時28分18秒
返信・引用
   護憲論としての縄文社会主義論その4

 ここで、戦後憲法に結実した反戦平和論の論理を解析しておく。世上の護憲論理とどう違うのか、その相似と差異を確認しておきたい。戦後憲法上の反戦平和論は前文と9条に記されている。これを確認する前に、あらかじめ分からず屋に申し上げておく。

 前文では先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任に言及していない。これを逆から云えば言及するよう強要されていない。このことは、当時の背景にある思想として、戦勝国も敗戦国も戦争行為につき同等の責任としており、東京裁判の如くな戦勝国称賛、戦勝国戦争犯罪免責、敗戦国懲罰、敗戦国戦争犯罪有責の構図にはなっていない。この違いを弁えねばならないところ国際ユダ屋テキストの指針する東京裁判史観に基づく反戦平和論ばかりが説かれて本来の護憲論理とすり替えられて今日に至っている。

 前置きはこれぐらいにして戦後憲法上の反戦平和論を解析しておく。前文は、敗戦国日本の今後の国の指針として自由自主自律的に「不戦の誓い」を格調高く宣明している。これが戦後日本出直しの始発となっている。世界がこれを認めることで国際社会に受け入れられ、戦後日本はそういう国際友好親善道を辿り始めたということになる。してみれば、先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任を深く負えば負うほど護憲的であるとする今日の社民式共産式護憲論が如何に的外れなものかが分かろう。

 前文を少し詳しく確認しておく。第一項概要「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、この憲法を確定する」。かく反戦不戦平和国家造りを使命として憲法を策定したことを明らかにしている。してみれば、「反戦不戦平和の誓い」は戦後日本の背骨的な原理であると云うことになる。第三項概要「日本国民は恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」、第四項概要「我らは平和を維持し、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」。かく恒久平和主義、平和維持活動、国際友好親善、国際協調主義に努めることを誓約している。

 第五項「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。かく国家責任的平和的生存権思想を打ち出している。第六項「この法則に従うことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」。かく国際的対等互恵主義を打ち出している。第七項「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」。かく意図的に理想主義を掲げ、それに邁進する日本を宣明している。

 次に憲法9条を確認する。第1項で次のように規定している。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。ここで、憲法前文を受け、更に能動的且つ大綱的に反戦不戦条項を敷衍していることになる。即ち、1・国際平和希求、2・国際紛争を解決する手段としての戦争放棄、3・武力行使放棄を詠っている。

 第2項で次のように規定している。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。即ち、4・戦力保持の禁止、5・交戦権の禁止を詠っている。

 以上、戦後憲法上の反戦不戦平和条項が5要素から成り立っていることが分かる。これを理解する上で肝要なことは、憲法前文と憲法9条を分離して論ずるのではなく有機的に結合させて読み取ることであろう。専ら憲法9条のみ吟味され骨抜き方向に拡大解釈されて来ている経緯があるが、それは不毛な論議に誘われるであろう。

 なぜなら、憲法9条の規定は、憲法前文の思想性に依拠しており、その論理の赴くところとして密接不可分に規定されているのであるからして、国の在り方としての思想性を問わない軍事防衛論議はどこまで行ってもスコラ学的解剖学的にならざるを得ず、それは憲法9条の意味を捉え損なうであろう。

 してみれば、自公民政権下での防衛論議が何とクダラン駄弁に終始していることだろうか。安倍政権下の自衛隊常時武装出動法案は何と憲法違反なことだろう。このところの国会質疑が何と憲法規定を無視して議論されていることだろう。ひたすら国際ユダ屋の指令するままに口パクし仰せの通り政治を請け負っているに過ぎない。

 これは既にサイコパスの域である。正確には戦後憲法テロリストサイコパスである。このサイコパスは思想的には勝共連合統一原理派に属しているようである。この系譜の連中ばかりが重役に就いているので、こう評することができよう。

 これにより連中が日本的でなさ過ぎるのが能く分かる。帰化人系がこの思想に馴染み易いようで要するにお似合いなのだろう。このサイコパスが原発放射能の糞尿垂れ流しのまま再稼動やら輸出せんとしている。何と高いお詫びが後世につくことだろうかと今から危惧するが、サイコパスは日本をそういう苦しむ目に遭わせてみたいらしい。この連中とは刺し違える以外に方法がないかもしれない。
 
 

れんだいこのカンテラ時評№1251

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月16日(月)20時36分23秒
返信・引用
   護憲論としての縄文社会主義論その3

 目下のシリーズは人気がないようだが今しばらく続ける。日本左派運動が戦後憲法のプレ社会主義法性を見つけ損なっていることが様々な面で悪態を生んでいる。その一つが憲法記念日の傍観無為である。憲法記念日祝祭はハト派が戦後保守主流派であり得た時代に於いて大事に祝されてきたがハト派が解体されて以降はおざなりの行事に化している。

 日本左派運動は、理想社会を先取りした戦後憲法のせっかくの祝祭日を得ておりながら、この行事を主体的に運営し、戦後憲法受肉化の為の紅衛兵運動を組織し、憲法を息づかせることをせぬままにやり過ごして来た。

 その癖、タカ派系の建国記念日、靖国神社、保守系検定教科書等々に於ける右翼の活動に難癖つけて悦に入ってきた。要するに自前のものを生み出す苦労を厭い、相手のそれを引っ掻くと云う安逸な作法を得手としてきた。そういうものを幾ら戦闘的にしたとしても本質的に卑怯姑息でありケチ付け運動に過ぎないのではなかろうか。れんだいこには若い頃からそういう不満があり彼女とトラブってきた苦い履歴がある。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の検定教科書用「日本の歴史」に対する抗議運動に言及しておく。それが仮に右派系のものであるとすれば、それに対抗する左派系の検定教科書用「日本の歴史」を編纂して対置すれば良いではないか。肝心のそういう営為をせず、保守系歴史教科書批判に耽っても説得力が弱かろう。

 ここでこのことを取り上げるのは、この作法がどうも日本左派運動の宿亜ではないかと思うからである。国会内外で口先だけの批判をしてお茶濁しをしている議員活動、「国連への手紙」などを得意げに吹聴しているだけのアリバイ反対派の生態に似ている気がするからである。連中は一事万事がそうである。

 戦後憲法のお陰で世界一自由な主義者活動が許されながら結果的に次第に政権に辿り着く道から遠ざかり、今となっては野党暮らしを楽しみ、否むしろ今日的には総破産しており、社民、民主の場合は裏取引専門になり、共産の場合には政界ゴシップ騒動屋としてのみ機能させられている。致し方ないと見なすべきではなかろうか。

 そこで、れんだいこの出番となっている。れんだいこは、戦後憲法をプレ社会主義的なるものとして位置づけ、今や更に日本固有の在地土着的縄文社会主義を獲得することにより、そういう観点からの護憲の御旗を手にしている。この系からの運動は今始まったばかりであり目下は海のものとも山のものとも分からぬ状態であるが、渇いた大地に水が浸み込むように支持されていくであろうことを確信している。

 生まれ代わってもう一度チャレンジできるなら、この史観、思想で学生運動を仕切り直し天下を取る。天下が自己目的ではない。政権を取ることによりできるあれもしたいこれもしたいを実現させたい為である。丁度、田中角栄政権をもう三倍政権に就かせていたら同様の夢を見られたのにとも思う。そういう日本にさせてはならないとする判断からの用意周到な角栄潰しがロッキード事件の真相ではなかろうか。

 この観点にたって初めて改憲派の狙いが透けて見えてくる。自公民政権下での改憲策動は、国際ユダ屋が日本の自衛隊を傭兵として使い、日本をアジア、イスラムと戦わせようとしていることによる。その挙句に使い捨てにしようとしている。但しそればかりではない。もう一つの狙いとして日本の伝統的な縄文社会主義的共同体の絆を切り刻んでしまい、日本人野郎を国際ユダ屋の下男に日本人野女を娼婦にせんとしている。

 従軍慰安婦問題で殊更に謝罪を強要しているのはひょっとして日本人野女に今後同様の償いをさせようと企図している伏線ではあるまいか。ああいう連中だからこれぐらいのことは十分あり得る。そういう時代へ引き込む呼び水が改憲の意図ではなかろうか。これが近未来の日本の姿であるとしたら涙なしには語れない。
 

れんだいこのカンテラ時評№1250

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月14日(土)15時50分17秒
返信・引用
   護憲論としての縄文社会主義論その2

 「護憲論としての縄文社会主義論その1」で言及したように、日本史上の歴史的伝統的な正統革命家である角栄に対して、西欧思想被れ結社として自己形成しているに過ぎない当時の社会党、共産党が角栄討伐の先陣争いに向かった。それを誰が号令指揮したのか。こう問う者は少ないだろうが、れんだいこは疑惑し続けている。

 一例として次の事件を挙げておく。1983(昭和58).8.26日、ロッキード裁判で検察が角栄に対して懲役5年・5億円追徴、秘書の榎本に対して懲役1年の論告求刑した。その当夜のこと、マスコミは一斉に検察求刑を正義的に評した記事を載せ、総評、社会党、共産党も呼吸を合わせて「検察応援・論告支持・田中有罪」の御用ちょうちんを持って目白の田中邸を包囲した。

 ちょっと待て。平素取り締まられることはあっても取り締まる側に回ることなぞなかったであろうに、この時の総評、社会党、共産党はお上権力丸出しの「御用」と記したちょうちんを持って角栄糾弾闘争に向かっている。オカシくないだろうか。れんだいこにはその神経が分からない。これが分かる為には、この立ち位置が案外といざ鎌倉時の社共の裏の顔ではなかろうかと察すれば良い。

 ロッキード事件で戦後保守ハト派の総帥角栄を潰し、田中大平同盟に楔を打ちこんだことによって、中曽根に始まる戦後保守タカ派主流派時代を呼び水したの周知の通りである。それは丁度、60年安保闘争で、これを牽引したブントがタカ派の岸政権を打倒することによりハト派の池田政権を呼び水したのと対照的であった。当人たちの意識とは別に歴史に果たした役割を俯瞰する時、ブントが好評価されるべきで社共が悪評価されるべき理由がここにある。ここでは、そういう彼らの戦後憲法論を確認しておく。

 社会党、共産党は穏和的な左派運動を担っているところに役割がある。彼らの革命論は民主主義革命であり、社会主義革命派に対して厳しく対峙する役目を持っている。これが、党員レベルではいざ知らず党中央レベルが担っている裏の顔である。左派系党派の党中央がそういう風に飼われていると判ずる必要がある。素人がそういう党中央に身も心も預けるとろくなことにならないのでご注進しておく。

 その彼らの護憲運動論が興味深い。彼らはブルジョア憲法を何故に護るのかと問い、日本革命の当面が民主主義革命を要求している故にと説明する。この範疇で戦後民主主義論を唱え、これに護憲論を接合させると云う論理式の護憲論を唱えている。

 この理論は、戦後憲法の中にある社会主義性を認め、それを擁護称揚すべきであるところ、敢えてそう説かず民主主義革命の範疇で語り続けると云う意味で反動性がある。但し、回りくどかろうとも結果的に護憲論にシフトしており、このことが歴史的な正当性を獲得し、人民大衆的に支持されてきた要因であると思われる。

 こういう社共運動のエセ運動性に反発して登場して来た急進的社会主義革命呼号派の新左翼の運動はどうだったのだろうか。モーリス・メーテルリンク作の童話劇「幸せの青い鳥」になぞらえれば「幸せの赤い鳥」を求めて彷徨した挙句、結論から云えば度し難い運動に陥ってしまった。

 その間違いは、新左翼各派も又戦後憲法をブルジョア憲法と位置づけ、要するに戦後憲法の中にプレ社会主義性を見つけ損なったところにある。その上で社共との違いを際だたせようとしてか社共式護憲論に反発した戦後民主主義体制解体論を対置し悦に入った。こうなると、曲がりなりにも護憲に成功した社会党、共産党に比して、直接的な社会主義革命を唱えながら、プレ社会主義的要素を先取りしている戦後憲法を否定すると云う、とんだお笑いの空理空論の倒錯理論に陥ってしまったことになる。

 今でこそ戦後憲法に依拠する運動を創出しているが、それは救援活動等の経験から本能的に生み出しているのであって未だに理論的な裏づけを持っているように思えない。能天気に護憲論と解体論を持ち出す要領を得ない代物となっているのではなかろうか。彼らはブルジョア憲法であるとする戦後憲法を何故に擁護するのかと云う理論課題を未だに解明していない。一時はポツダムヤルタ体制打倒論を唱えて右翼の改憲論とハーモニーする時期さえあったほどである。

 れんだいこ史観から評すれば、社民やマルクス主義派の護憲理論がこのようなものであるので新旧左翼とも頼りにならない。こうなると気づくことがある。一番望まれている社会主義革命論を唱え且つ護憲と云う党派がなぜ出てこないのだろうか。肝要な党派がスポッと抜け落ちた形で左派運動が展開されていることになるが、これは偶然だろうか。

 彼らは過渡期論で間に合わせれば足りるのに徒に小難しく革命論を論(あげつら)う癖がある。我々はさほど意味のない革命論に耽らず、人民大衆の生活第一を掲げ且つ護憲派政党を期待している。こういう政党がなぜ登場しないのだろうか。仮に登場しようとすると、よってたかって袋叩きにされるのはなぜなのか。こういう時に決まって共産党がしゃかりきにいきり立つのはどういうことか。こういう疑問が生まれることになる。
 

れんだいこのカンテラ時評№1249

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 8日(日)18時14分9秒
返信・引用
   夜に昼に継ぐ戦後憲法制定作業考その1

 戦後憲法論を廻って、改憲派が論拠にしている一つが「GHQにより押し付けられた論」である。これについては別稿で確認する。本稿では、もう一つの「夜に昼に継ぐ僅か一、二週間で戦後憲法が生み出された論」を検証する。これを仮に「15日間作成憲法」と命名する。

 3.6日、安倍首相が、この戦後憲法「15日間作成憲法」観点から衆院予算委員会答弁で次のように述べている。「短い期間で連合国軍総司令部(GHQ)において25人の方々によってつくられたのは間違いない。こういう過程でできたから変えていく、ということについて議論するのは当然のことだ」。

 他にも「新憲法草案作業は憲法の専門家1人もいない占領軍民政局の21人のアメリカ人によりたった1週間で作成された。アメリカ、ソ連憲法を適当につぎはぎして作った代物である」なる説が流布されている。こういう通説は本当だろうか。歴史の検証に耐えられるのだろうか。

 れんだいこは、この通説は精査されていない雑な見方と判じたい。半分本当で半分正しくないと解するのを相当としたい。そもそも通説は、戦後憲法制定作業期間を「僅か1週間とも2週間」としてドラマチックに仕立てているが漫画的過ぎるのではなかろうか。そういう理解は漫画頭脳に相応しい漫画的受け取りに過ぎないのではないのか。

 実際に創り出された戦後憲法の構成、諸規定、その特徴等を見るのに、「僅か一、二週間で一から生み出された」ようなものには到底思えない。実際は、用意周到に練られたグランドデザインとしての原案が既にあり、その最終稿確定検討に要した期間が「僅か1週間とも2週間」ではなかったか。即ち「最後の細部のツメに要した期間」と受け取る。

 ここでこのことを格別に論ずる理由は、この時の原案がよほど用意周到に練られた草案であったことを確認したいからである。戦後憲法論に於いてこのように論ぜられることが少ないが、それは意図的故意にキモの部分を避けているからに過ぎない。

 一説に、アメリカ側よりする戦後日本の人民大衆的取り込み策として、ソ連憲法にも増して優位な民主主義憲法を打ち出す必要があり、この意を挺して日本人を含む知日派の複数メンバーが最高の頭脳を駆使して草案化し原案を作成したとの説がある。こう見なす方がまだしも正確なのではなかろうかと思う。

 但し、れんだいこが窺う真相はもっと凄い。実は、日本の戦後憲法策定に当たっては、どういう経緯によってか分からないが、第二次世界大戦後の歴史事情に鑑みたいわば理想主義派が隙間的に登場し、この連中が戦後憲法の骨格を作成し草案化し、それを当時のGHQ内ニューディラー派の民政局GS(ガバメント.セクション)」が引き受けて戦後憲法作成に指導能力を発揮したと解している。この流れに関わるインテリジェンスが「戦後日本の青写真」を作り、憲法はかくあるべしの理想主義的見地から作成されたように解している。彼らの登場、その策定物としての戦後憲法そのものが歴史の僥倖による賜物であった。

 付言しておけば、戦後憲法は手放しで礼賛できるものではない。当然のことながら戦勝国側の対日支配に有利な戦後日本作りの為の諸規定が仕掛けられている。但しそれだけではないところに素晴らしさがある。日本及び日本人民をこよなく愛し、その歴史を知っていた者による伝統的な縄文社会主義的日本作りのベクトルも働いている。両者の思惑が混交して成文化されているのが戦後憲法であると了解したい。そこには、戦後日本再生に関わる「偉大なる智者の推敲」が働いているように見える。誰がこれを為したのか。恐らくこれは永遠の秘密のヴェールに包まれるのだろうと思われる。そういう知恵が随所に入っているのが戦後憲法である。

 「偉大なる智者の推敲」は、戦勝国側の利益と縄文社会主義のどちらを主にしているか。れんだいこには、前者を従として後者を主としているように思える。してみれば、昨今の改憲の動きとは、従とされた戦勝国側の利益を主とせしめ、縄文社会主義的観点からの規定を排斥する為の策動と思える。

 こう見て取ることにより、改憲派の素性がよく見えてくる。日本を愛するという割には少しオツムの弱い、利にさとい、手前の立身出世に有利となれば日本を売り渡すことに何の逡巡もない連中ばかりであることが分かる。この連中がこぞって原発再稼動派であることも興味深い。原発利権族と改憲族はよほどハーモニーしているのだろう。
 

れんだいこのカンテラ時評№1248

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 3日(火)13時09分8秒
返信・引用
   護憲論としての縄文社会主義論その1

 安倍政権下で憲法改正策動が強まりつつある。そういう状況柄、我々は何故に戦後憲法を護憲するのか、その理論を開陳し世評を仰ぎたい。れんだいこはこれまで、「Re:れんだいこのカンテラ時評285、れんだいこの戦後憲法プレ社会主義法論」その他で、戦後憲法のプレ社会主義法性を指摘し護憲の論拠としてきた。本稿では、これを更に推し進め日本固有の出雲王朝式善政論と結びつけ、戦後憲法がこの日本式理想政治とハーモニーしている故に護憲すべしとする縄文社会主義論を提起したい。

  れんだいこは今や何事も輸入理論で解く見地を捨て、日本語としての言語が象徴的にそうであるように日本文明が在地的土着的自生的に発生してきた可能性に注目し、それで解ける場合はそのように解こうと努めている。

 要するに、古代に於いてはインド、中国、朝鮮から、近代に於いては西欧からとする万事に於ける外国被れの見方を排斥しようとしている。当然、政治理論も然りである。出雲王朝御世の理想的な大国主の命政治に注目することによって縄文社会主義論を生み出し、これを基点機軸とすることによって既成の西欧的諸思想被れ論から決別せんとしている。

  戦後学生運動著書2冊を持つれんだいこが若い頃、信奉してきたマルクス主義、アナーキズムとの比較においてさえ、日本の縄文社会主義論と共通の思想ありし場合にのみ、その限りに於いてそれらの思想の値打ちを認める。マルクス主義、アナーキズム文中の、日本の縄文社会主義論から受容できない思想については否定し受容を拒否する。そういう思想スタイルを確立している。

 これが逆にはならない。即ちマルクス主義、アナーキズムの見地から縄文社会主義論を解析し、共通の思想ありし場合にのみ値打ちを見出し、その限りに於いて認める、のではない。主客論において、日本の縄文社会主義論を主、外国的諸思想を従としている訳である。この思想スタイルがここまで辿り着くのにほぼ30年余を要しており、この構図はもはや変わらないと思っている。

  れんだいこは、この縄文社会主義観点からの護憲論を唱えている。こういうものは初稿であろうから多くの者は判断停止になろう。しかし、本稿が次第に説得力を増し、仕舞いには総出の拍手で迎えられることになろう。こう期待している。直先のブログ「2015.2.11建国記念の日に思う」で次のように述べた。「我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている」。全くその通りで、この観点が戦後憲法護憲の骨子にならなければならない。我々が護憲するのは戦後憲法が良質なものだからであり、それ以外の理由はない。

  それでは戦後憲法はどう良質なのか、これを確認しておく。結論から述べると、どういう経緯かは別にして結果的に縄文社会主義と照応する名憲法となっている。ここに我々の護憲の論拠がある。戦後憲法は、日本の祖法である縄文社会主義に照応している故に公布されるや急速に受肉化されて行った。要するに黒船来航以降の明治維新によって、国際ユダ屋系のネオシオニズム思想並びに政治が次第に権勢を振るい始め、その流れに連れて圧殺されていた日本的共同体の紐帯DNAが、戦後憲法を仲間と認め悦び迎えた訳である。戦後憲法受肉化の真因をこう理解せねばならない。その主体は無名の大衆であり、政治的には戦後保守本流ハト派が担った。

  戦後憲法を縄文社会主義論の見地から是認し、その理想を政治の基礎に据え、政治活動を展開した代表的政治家が田中角栄であった。社共は護憲を云うけれど野党としての口先だけであるから弱く、真に権力を握って政治を操舵し護憲してきたのは戦後保守本流ハト派であり、そのモーターが田中角栄であった。

 要するに、縄文社会主義論によれば田中角栄こそが本物の革命家であった。しかしこうなると、その角栄を葬るのに一大戦争を仕掛け、未だに正義ぶって自慢し続けている社会党、共産党とは何ものぞと云うことになる。当然、彼らの護憲論は本物なりやと関心が向かうことになる。

  1976年のロッキード事件で角栄を失脚させて以来、これを境に戦後保守本流ハト派が痩せ細り、それにつれて戦後憲法の真の護り手が居なくなり、角栄派が解体されて以来、戦後憲法が病床に伏すようになり今日では骨川筋衛門にされている。

 こう捉えて護憲するのが本来の護憲論ではなかろうか。この観点を打ち出さず小難しく語るばかりの護憲論、口先擁護だけの護憲論、戦後憲法の擁護者であった角栄討伐戦に精出した側の護憲論、これらは偽者である。共同戦線的には組むべきであるが信を置くに値しない。
 

ありがとうございました

 投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月21日(土)18時40分6秒
返信・引用
  やはりネット検索、メール、HPなど嫌がらせをされているんですね。復旧工事がたいへんですね。時にはウィルスにPCがやられたりしませんか?
それにしても、すばらしい生きざまに感心させられました。そうでなければ、あれだけのHPは作れませんよ。さらなる精進とHPの充実を期待しております。
ありがとうございました。
メールも差し上げますのでよろしくお願いいたします。
 

嫌がらせについて

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月17日(火)10時16分29秒
返信・引用
   「れんだいこファン」さんちわぁ。れんだいこメールは(E-mail: rendaico@marino.ne.jp)です。ホームページの末尾に記しております。

 命についてですが、今日までのところは大丈夫です。掲示板、メール、ブログ、ネット検索上の嫌がらせはしょっちゅうです。れんだいこ的には、寿命に限りある身なので、云いたいこと云ってしたいことして命を燃焼しきりたいです。それが為に殺されるのは嫌ですが、それを恐れていたら何もできないです。そう考えて今日まで参っております。大げさに言えばオマンマ稼業のやりくりも含め毎日がドラマです。どこまで生きられるのか楽しんでおります。ホームページは生ある限り書き続け書き直し刻み抜くつもりの宝物にしております。そういうこともあって、今のところどこにも脳の萎縮が見られないと知り合いの内科の先生が感心してくださりましたふふふ。有難いことです。
 

嫌がらせは?

 投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月15日(日)19時27分24秒
返信・引用
  れんだいこさんのHPをいつも読ませてもらっています。
内容も良いのですが、その膨大な量に驚かされます。
xxx党の研究はすばらしいです。ご存じの通り,彼らは反党分子にたいしてイジメは尋常ではありません。これだけの反党文書をネットに載せて、抹殺されませんね。ネット記事はいいとしても、命を狙われませんか。
詳しくは、掲示板でなくメールでお訊きしたいので、メールアドレスを教えてください。
 

れんだいこのカンテラ時評№1247

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月11日(水)17時42分29秒
返信・引用
   2015.2.11建国記念の日に思う

 今日は2015.2.11日、「建国記念の日」による祝日である。この建国記念の日を左翼的に批判するのではなく、右翼をたじろがせる建国日論を発信して撫で斬りにしておきたい。「建国記念の日」の理論的考察、登場までの歴史的経緯については既に「建国記念日考」、「2013.2.11建国記念日に思う」で述べているので繰り返さない。本稿は新たな発信をしておくことにする。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/koki2600nenco.html
      

 

 「2.11建国記念の日」をどう拝するべきか。この祝日を規定した側は、日本書紀記述の「神武天皇が辛酉の年の庚辰朔の年の正月に橿原に宮を建てた」のを由来として西暦換算による「紀元前660.2.11日」を建国記念日としている。しかしながら、少し古代史を学んだ者には自明であろうが、紀元前7世紀頃に神武天皇が橿原に宮を建てたとするのはかなり無理がある。記紀神話の他の記述と辻褄の合わないことが多過ぎるからである。にも拘らず「紀元前660.2.11日を紀元元年」としたのはどういう訳か。実は「日」自体には意味がなく、建国記念日を設けることに意味があった故と云うことになる。

 ところで、れんだいこは、別の基準で「西暦紀元前660.2.11日を日本皇統史元年」とすることに納得しようとしている。どういう理論によって首肯できるのか、それを開陳しておく。

 建国記念日を「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」に置くのがそもそものナンセンスである。日本古代史上、避けて通れないのが邪馬台国であり、この国が存在したのが紀元3世紀頃とすると、れんだいこ史観によれば神武天皇は邪馬台国滅亡と絡んでいるはずであるから紀元3世紀頃とせざるをえない。ここからは「紀元前660.2.11日を紀元元年」とする理由が出てこない。

 ところが、「紀元前660.2.11日」を紀元元年にし得る理論がある。それは、この日を、出雲王朝形成期の元一日とすることによってである。あるいは出雲王朝の次の段階としての八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅの命)の「国引き譚」記念日に該当させるべきかも知れない。れんだいこ史観によれば、出雲王朝は「国引き」により「八雲立つ出雲」から連合王朝に向かう。こうした出雲王朝形成の元一日を「紀元前660.2.11日」に求めると奇妙に符合するから不思議である。

 神武天皇を初代とする大和王朝が皇統の万世一系を云うならば、直前の邪馬台国王朝、更にその前の出雲王朝の皇統まで辿ることが是となり、その出雲王朝の元一日が「紀元前660.2.11日」だとすれば、この日まで遡って、この日をもって建国記念の日とすることには合理性があると云うことになる。

 明治政府の歴史認識は、「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」を「紀元前660.2.11日」と定め建国記念日とした訳であるけれども、この日を日本皇統譜の始まりである出雲王朝創生の元一日として位置づけ、この日を建国記念の日として祝うことは可能な訳である。

 今日、建国記念日そのものを分裂的に方や称え、方や批判するのが流行である。それは日の丸、君が代、菊花弁に対しても然りである。しかしながら奇妙なことに日の丸、君が代、菊花弁は皆な出雲王朝系の産物である。国旗としての日の丸、国歌としての君が代、家紋としての菊花弁は、それを悪用した者と善用した者により醸し出されるものが違う訳で、それ自体としてはそれぞれ秀逸なものである。こう考える必要があるのではなかろうか。

 建国記念日、日の丸、君が代、菊花弁そのものを批判するサヨ、称えるウヨの論理式は実は一緒である。裏で操る者がいて繋がっていると考えた方が良い。我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている。

 

Re: 謎の(初めてなので)訪問者

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月25日(日)19時44分53秒
返信・引用
  > No.360[元記事へ]

名無しの探偵さんへのお返事です。

> 初めて訪問します。名無しの探偵です。管理人さんとほぼ同世代。まだ勝手が分からず、メッセ―ジはありません。
> 見渡したところ、二人の投稿者しか見受けられなかった。話が難しすぎるからか。田中角栄と三木武雄の妾騒動に重点が移っており、ややこしくなったのだろうか?
> 今日はこの辺で。

39です。あれこれの雑談の中でひらめきをもらうことがあります。そういう訳でご遠慮なしにご登場ください。
 

レンタル掲示板
/43