teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


れんだいこのカンテラ時評№1249

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 8日(日)18時14分9秒
返信・引用
   夜に昼に継ぐ戦後憲法制定作業考その1

 戦後憲法論を廻って、改憲派が論拠にしている一つが「GHQにより押し付けられた論」である。これについては別稿で確認する。本稿では、もう一つの「夜に昼に継ぐ僅か一、二週間で戦後憲法が生み出された論」を検証する。これを仮に「15日間作成憲法」と命名する。

 3.6日、安倍首相が、この戦後憲法「15日間作成憲法」観点から衆院予算委員会答弁で次のように述べている。「短い期間で連合国軍総司令部(GHQ)において25人の方々によってつくられたのは間違いない。こういう過程でできたから変えていく、ということについて議論するのは当然のことだ」。

 他にも「新憲法草案作業は憲法の専門家1人もいない占領軍民政局の21人のアメリカ人によりたった1週間で作成された。アメリカ、ソ連憲法を適当につぎはぎして作った代物である」なる説が流布されている。こういう通説は本当だろうか。歴史の検証に耐えられるのだろうか。

 れんだいこは、この通説は精査されていない雑な見方と判じたい。半分本当で半分正しくないと解するのを相当としたい。そもそも通説は、戦後憲法制定作業期間を「僅か1週間とも2週間」としてドラマチックに仕立てているが漫画的過ぎるのではなかろうか。そういう理解は漫画頭脳に相応しい漫画的受け取りに過ぎないのではないのか。

 実際に創り出された戦後憲法の構成、諸規定、その特徴等を見るのに、「僅か一、二週間で一から生み出された」ようなものには到底思えない。実際は、用意周到に練られたグランドデザインとしての原案が既にあり、その最終稿確定検討に要した期間が「僅か1週間とも2週間」ではなかったか。即ち「最後の細部のツメに要した期間」と受け取る。

 ここでこのことを格別に論ずる理由は、この時の原案がよほど用意周到に練られた草案であったことを確認したいからである。戦後憲法論に於いてこのように論ぜられることが少ないが、それは意図的故意にキモの部分を避けているからに過ぎない。

 一説に、アメリカ側よりする戦後日本の人民大衆的取り込み策として、ソ連憲法にも増して優位な民主主義憲法を打ち出す必要があり、この意を挺して日本人を含む知日派の複数メンバーが最高の頭脳を駆使して草案化し原案を作成したとの説がある。こう見なす方がまだしも正確なのではなかろうかと思う。

 但し、れんだいこが窺う真相はもっと凄い。実は、日本の戦後憲法策定に当たっては、どういう経緯によってか分からないが、第二次世界大戦後の歴史事情に鑑みたいわば理想主義派が隙間的に登場し、この連中が戦後憲法の骨格を作成し草案化し、それを当時のGHQ内ニューディラー派の民政局GS(ガバメント.セクション)」が引き受けて戦後憲法作成に指導能力を発揮したと解している。この流れに関わるインテリジェンスが「戦後日本の青写真」を作り、憲法はかくあるべしの理想主義的見地から作成されたように解している。彼らの登場、その策定物としての戦後憲法そのものが歴史の僥倖による賜物であった。

 付言しておけば、戦後憲法は手放しで礼賛できるものではない。当然のことながら戦勝国側の対日支配に有利な戦後日本作りの為の諸規定が仕掛けられている。但しそれだけではないところに素晴らしさがある。日本及び日本人民をこよなく愛し、その歴史を知っていた者による伝統的な縄文社会主義的日本作りのベクトルも働いている。両者の思惑が混交して成文化されているのが戦後憲法であると了解したい。そこには、戦後日本再生に関わる「偉大なる智者の推敲」が働いているように見える。誰がこれを為したのか。恐らくこれは永遠の秘密のヴェールに包まれるのだろうと思われる。そういう知恵が随所に入っているのが戦後憲法である。

 「偉大なる智者の推敲」は、戦勝国側の利益と縄文社会主義のどちらを主にしているか。れんだいこには、前者を従として後者を主としているように思える。してみれば、昨今の改憲の動きとは、従とされた戦勝国側の利益を主とせしめ、縄文社会主義的観点からの規定を排斥する為の策動と思える。

 こう見て取ることにより、改憲派の素性がよく見えてくる。日本を愛するという割には少しオツムの弱い、利にさとい、手前の立身出世に有利となれば日本を売り渡すことに何の逡巡もない連中ばかりであることが分かる。この連中がこぞって原発再稼動派であることも興味深い。原発利権族と改憲族はよほどハーモニーしているのだろう。
 
 

れんだいこのカンテラ時評№1248

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 3日(火)13時09分8秒
返信・引用
   護憲論としての縄文社会主義論その1

 安倍政権下で憲法改正策動が強まりつつある。そういう状況柄、我々は何故に戦後憲法を護憲するのか、その理論を開陳し世評を仰ぎたい。れんだいこはこれまで、「Re:れんだいこのカンテラ時評285、れんだいこの戦後憲法プレ社会主義法論」その他で、戦後憲法のプレ社会主義法性を指摘し護憲の論拠としてきた。本稿では、これを更に推し進め日本固有の出雲王朝式善政論と結びつけ、戦後憲法がこの日本式理想政治とハーモニーしている故に護憲すべしとする縄文社会主義論を提起したい。

  れんだいこは今や何事も輸入理論で解く見地を捨て、日本語としての言語が象徴的にそうであるように日本文明が在地的土着的自生的に発生してきた可能性に注目し、それで解ける場合はそのように解こうと努めている。

 要するに、古代に於いてはインド、中国、朝鮮から、近代に於いては西欧からとする万事に於ける外国被れの見方を排斥しようとしている。当然、政治理論も然りである。出雲王朝御世の理想的な大国主の命政治に注目することによって縄文社会主義論を生み出し、これを基点機軸とすることによって既成の西欧的諸思想被れ論から決別せんとしている。

  戦後学生運動著書2冊を持つれんだいこが若い頃、信奉してきたマルクス主義、アナーキズムとの比較においてさえ、日本の縄文社会主義論と共通の思想ありし場合にのみ、その限りに於いてそれらの思想の値打ちを認める。マルクス主義、アナーキズム文中の、日本の縄文社会主義論から受容できない思想については否定し受容を拒否する。そういう思想スタイルを確立している。

 これが逆にはならない。即ちマルクス主義、アナーキズムの見地から縄文社会主義論を解析し、共通の思想ありし場合にのみ値打ちを見出し、その限りに於いて認める、のではない。主客論において、日本の縄文社会主義論を主、外国的諸思想を従としている訳である。この思想スタイルがここまで辿り着くのにほぼ30年余を要しており、この構図はもはや変わらないと思っている。

  れんだいこは、この縄文社会主義観点からの護憲論を唱えている。こういうものは初稿であろうから多くの者は判断停止になろう。しかし、本稿が次第に説得力を増し、仕舞いには総出の拍手で迎えられることになろう。こう期待している。直先のブログ「2015.2.11建国記念の日に思う」で次のように述べた。「我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている」。全くその通りで、この観点が戦後憲法護憲の骨子にならなければならない。我々が護憲するのは戦後憲法が良質なものだからであり、それ以外の理由はない。

  それでは戦後憲法はどう良質なのか、これを確認しておく。結論から述べると、どういう経緯かは別にして結果的に縄文社会主義と照応する名憲法となっている。ここに我々の護憲の論拠がある。戦後憲法は、日本の祖法である縄文社会主義に照応している故に公布されるや急速に受肉化されて行った。要するに黒船来航以降の明治維新によって、国際ユダ屋系のネオシオニズム思想並びに政治が次第に権勢を振るい始め、その流れに連れて圧殺されていた日本的共同体の紐帯DNAが、戦後憲法を仲間と認め悦び迎えた訳である。戦後憲法受肉化の真因をこう理解せねばならない。その主体は無名の大衆であり、政治的には戦後保守本流ハト派が担った。

  戦後憲法を縄文社会主義論の見地から是認し、その理想を政治の基礎に据え、政治活動を展開した代表的政治家が田中角栄であった。社共は護憲を云うけれど野党としての口先だけであるから弱く、真に権力を握って政治を操舵し護憲してきたのは戦後保守本流ハト派であり、そのモーターが田中角栄であった。

 要するに、縄文社会主義論によれば田中角栄こそが本物の革命家であった。しかしこうなると、その角栄を葬るのに一大戦争を仕掛け、未だに正義ぶって自慢し続けている社会党、共産党とは何ものぞと云うことになる。当然、彼らの護憲論は本物なりやと関心が向かうことになる。

  1976年のロッキード事件で角栄を失脚させて以来、これを境に戦後保守本流ハト派が痩せ細り、それにつれて戦後憲法の真の護り手が居なくなり、角栄派が解体されて以来、戦後憲法が病床に伏すようになり今日では骨川筋衛門にされている。

 こう捉えて護憲するのが本来の護憲論ではなかろうか。この観点を打ち出さず小難しく語るばかりの護憲論、口先擁護だけの護憲論、戦後憲法の擁護者であった角栄討伐戦に精出した側の護憲論、これらは偽者である。共同戦線的には組むべきであるが信を置くに値しない。
 

ありがとうございました

 投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月21日(土)18時40分6秒
返信・引用
  やはりネット検索、メール、HPなど嫌がらせをされているんですね。復旧工事がたいへんですね。時にはウィルスにPCがやられたりしませんか?
それにしても、すばらしい生きざまに感心させられました。そうでなければ、あれだけのHPは作れませんよ。さらなる精進とHPの充実を期待しております。
ありがとうございました。
メールも差し上げますのでよろしくお願いいたします。
 

嫌がらせについて

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月17日(火)10時16分29秒
返信・引用
   「れんだいこファン」さんちわぁ。れんだいこメールは(E-mail: rendaico@marino.ne.jp)です。ホームページの末尾に記しております。

 命についてですが、今日までのところは大丈夫です。掲示板、メール、ブログ、ネット検索上の嫌がらせはしょっちゅうです。れんだいこ的には、寿命に限りある身なので、云いたいこと云ってしたいことして命を燃焼しきりたいです。それが為に殺されるのは嫌ですが、それを恐れていたら何もできないです。そう考えて今日まで参っております。大げさに言えばオマンマ稼業のやりくりも含め毎日がドラマです。どこまで生きられるのか楽しんでおります。ホームページは生ある限り書き続け書き直し刻み抜くつもりの宝物にしております。そういうこともあって、今のところどこにも脳の萎縮が見られないと知り合いの内科の先生が感心してくださりましたふふふ。有難いことです。
 

嫌がらせは?

 投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月15日(日)19時27分24秒
返信・引用
  れんだいこさんのHPをいつも読ませてもらっています。
内容も良いのですが、その膨大な量に驚かされます。
xxx党の研究はすばらしいです。ご存じの通り,彼らは反党分子にたいしてイジメは尋常ではありません。これだけの反党文書をネットに載せて、抹殺されませんね。ネット記事はいいとしても、命を狙われませんか。
詳しくは、掲示板でなくメールでお訊きしたいので、メールアドレスを教えてください。
 

れんだいこのカンテラ時評№1247

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月11日(水)17時42分29秒
返信・引用
   2015.2.11建国記念の日に思う

 今日は2015.2.11日、「建国記念の日」による祝日である。この建国記念の日を左翼的に批判するのではなく、右翼をたじろがせる建国日論を発信して撫で斬りにしておきたい。「建国記念の日」の理論的考察、登場までの歴史的経緯については既に「建国記念日考」、「2013.2.11建国記念日に思う」で述べているので繰り返さない。本稿は新たな発信をしておくことにする。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/koki2600nenco.html
      

 

 「2.11建国記念の日」をどう拝するべきか。この祝日を規定した側は、日本書紀記述の「神武天皇が辛酉の年の庚辰朔の年の正月に橿原に宮を建てた」のを由来として西暦換算による「紀元前660.2.11日」を建国記念日としている。しかしながら、少し古代史を学んだ者には自明であろうが、紀元前7世紀頃に神武天皇が橿原に宮を建てたとするのはかなり無理がある。記紀神話の他の記述と辻褄の合わないことが多過ぎるからである。にも拘らず「紀元前660.2.11日を紀元元年」としたのはどういう訳か。実は「日」自体には意味がなく、建国記念日を設けることに意味があった故と云うことになる。

 ところで、れんだいこは、別の基準で「西暦紀元前660.2.11日を日本皇統史元年」とすることに納得しようとしている。どういう理論によって首肯できるのか、それを開陳しておく。

 建国記念日を「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」に置くのがそもそものナンセンスである。日本古代史上、避けて通れないのが邪馬台国であり、この国が存在したのが紀元3世紀頃とすると、れんだいこ史観によれば神武天皇は邪馬台国滅亡と絡んでいるはずであるから紀元3世紀頃とせざるをえない。ここからは「紀元前660.2.11日を紀元元年」とする理由が出てこない。

 ところが、「紀元前660.2.11日」を紀元元年にし得る理論がある。それは、この日を、出雲王朝形成期の元一日とすることによってである。あるいは出雲王朝の次の段階としての八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅの命)の「国引き譚」記念日に該当させるべきかも知れない。れんだいこ史観によれば、出雲王朝は「国引き」により「八雲立つ出雲」から連合王朝に向かう。こうした出雲王朝形成の元一日を「紀元前660.2.11日」に求めると奇妙に符合するから不思議である。

 神武天皇を初代とする大和王朝が皇統の万世一系を云うならば、直前の邪馬台国王朝、更にその前の出雲王朝の皇統まで辿ることが是となり、その出雲王朝の元一日が「紀元前660.2.11日」だとすれば、この日まで遡って、この日をもって建国記念の日とすることには合理性があると云うことになる。

 明治政府の歴史認識は、「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」を「紀元前660.2.11日」と定め建国記念日とした訳であるけれども、この日を日本皇統譜の始まりである出雲王朝創生の元一日として位置づけ、この日を建国記念の日として祝うことは可能な訳である。

 今日、建国記念日そのものを分裂的に方や称え、方や批判するのが流行である。それは日の丸、君が代、菊花弁に対しても然りである。しかしながら奇妙なことに日の丸、君が代、菊花弁は皆な出雲王朝系の産物である。国旗としての日の丸、国歌としての君が代、家紋としての菊花弁は、それを悪用した者と善用した者により醸し出されるものが違う訳で、それ自体としてはそれぞれ秀逸なものである。こう考える必要があるのではなかろうか。

 建国記念日、日の丸、君が代、菊花弁そのものを批判するサヨ、称えるウヨの論理式は実は一緒である。裏で操る者がいて繋がっていると考えた方が良い。我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている。

 

Re: 謎の(初めてなので)訪問者

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月25日(日)19時44分53秒
返信・引用
  > No.360[元記事へ]

名無しの探偵さんへのお返事です。

> 初めて訪問します。名無しの探偵です。管理人さんとほぼ同世代。まだ勝手が分からず、メッセ―ジはありません。
> 見渡したところ、二人の投稿者しか見受けられなかった。話が難しすぎるからか。田中角栄と三木武雄の妾騒動に重点が移っており、ややこしくなったのだろうか?
> 今日はこの辺で。

39です。あれこれの雑談の中でひらめきをもらうことがあります。そういう訳でご遠慮なしにご登場ください。
 

謎の(初めてなので)訪問者

 投稿者:名無しの探偵  投稿日:2015年 1月24日(土)20時26分50秒
返信・引用
  初めて訪問します。名無しの探偵です。管理人さんとほぼ同世代。まだ勝手が分からず、メッセ―ジはありません。
見渡したところ、二人の投稿者しか見受けられなかった。話が難しすぎるからか。田中角栄と三木武雄の妾騒動に重点が移っており、ややこしくなったのだろうか?
今日はこの辺で。
 

れんだいこのカンテラ時評№1246

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月20日(火)15時30分11秒
返信・引用
   為にする田中角栄悪評論を斬り捨てておく

れんだいこブログの中で「田中角栄の妻及び愛人との絆考」が人気記事ランキング第1位であり最も評価が高いようである。これに比して、角栄に対する為にする悪評が為されている。本稿でこれを質し斬り捨てておく。ネット検索で「政治家愛人伝説、政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」、「竹田恒泰の田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」に出くわす。それらが、れんだいこの「田中角栄の妻及び愛人との絆考」以前のものなら許せるが、以降のものであれば容赦する必要はなかろう。

 「政治家愛人伝説 政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」が発表されたのは2012年10月10日頃の週刊FLASH10月23日号である。政治評論家の小林吉弥氏の言として次のような文章が記載されている。「クリーンな印象の三木武夫元首相にすら愛人はいました。ただ、その愛人が銀座にクラブを開店させたとき、それを聞きつけた田中角栄が『そりゃ、めでたい』と通い常連になってしまった。そうなると竹下登や小渕恵三など田中派の若手も飲みに来る。いつしかその店は田中派に乗っ取られていたんです。田中と三木の怨恨は知られるところ。政敵の店をまんまと…ですね」。

 この文の内容の真偽を確認しておきたい。問題は、角栄が政敵である三木の愛人が経営するクラブの通い常連になり仕舞いには田中派常連の店にするようなことが本当にあったのか。「小林吉弥発言」としているが小林吉弥は本当にそのように発言しているのか、これを質したい。れんだいこは、角栄が「クラブへの通い常連」になること自体があり得ないと断言しておく。角栄が飲食接待に顔出しするのは奇妙なほどに料亭でありクラブへの出入り履歴を知らない。

 角栄はなるほど洋酒ウイスキーとしてはオールドパーを愛飲していたがクラブ、スナックに神出鬼没していたとは聞かない。逆に和風料亭出入りなら履歴を相当に残している。それを、「小林吉弥発言」は、1、角栄が三木の愛人の経営する店だと承知しておりながら、2、常連になり、3、田中派行きつけの店にしたと云う。角栄式義理人情論を踏まえればありえない。要するに為にする角栄悪評である。これを垂れ流す「週刊FLASH10月23日号」の執筆者は伏せられている。卑怯姑息なことよと指弾しておく。なお、小林吉弥が実際に「小林吉弥発言」をしていたとしたら説明責任がある。何を根拠にしているのか明らかにせよ。

 次に、「明治天皇の玄孫」を売りにしている竹田恒泰の「田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」を確認しておく。これによると、発表されたのは2014年2月4日頃で、竹田が YouTube上で 「田中角栄元総理は5人の愛人を囲っていたのにもかかわらず三木武夫元首相の愛人の世話もしていたそうです」と伝聞発言している。竹田の論拠は分からないが、「小林吉弥発言」を唯一の根拠にしていたとしたら評論能力のお粗末さを示している。人を評するのに、擁護せねばならぬ者を批判し愚弄する癖がある御仁であると見立てておく。こんな評論で高給暮らしなぞあってたまるものかわ。それなられんだいこの評論能力は億万長者に値しようぞ。世の中大いに間違っとるわい。

 ところで、こういう為にする角栄悪評はどこから生まれるのだろうか。本来なら角栄は近現代史を彩る世界史的な傑物政治家としての日本が誇るべき人物である。それを悪し様に評し立花-日共式に「金権腐敗政治元凶論」で罵り、返す刀で中曽根名宰相論を唱える。こういう見解を生み出す黒幕が国際ユダ屋である。連中はあらゆる方面にテキストを作成しており、これを上手に口パクすれば出世する道が敷かれている。この門を潜ると学んでますます馬鹿になる。こういう自称インテリが多いが、連中が大人しければまだしも力むとなると相手にせずそっとしておく一手である。角栄好評の我々は連中に背を向け、我々の空間を広げつつ語り部になる努力をすべきであろう。
 

謹賀新年

 投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月 1日(木)12時54分29秒
返信・引用
   2015年、明けましておめでとうございます。今年一年の抱負はいろいろありますが、自分で自分を褒められる年にしたいと思います。皆様方にもご多幸な年であらせますように祈念申し上げます。れんだいこ拝  

レンタル掲示板
/43